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時間

時間とは規定されているもので、それ故、スポーツの記録も比較ができるわけである。だが、心理的な時間の感覚はかなりの揺れ幅がある。

11月はかなりいろいろなことがあり、てんやわんやだったが、あっという間に終わったという感覚もあれば、通常の2,3カ月分のボリュームがあったという感覚もある。不思議なもので、自宅のスリッパがボロボロになっていて新しいものを買おうと数カ月前から思っていたのだが、ここ数カ月で一番忙しい11月になんとか購入した。

それにしても、時間は貴重なものだ。もっといろいろなことができたはずだという後悔に近い念が生じることもあれば、いや、あまりに頑張りすぎるのもかえって潰れてしまうかもしれない、如何なものかという考えも生じる。まあ、こういうことを振り返ったところでそれこそ時間の無駄になりそうなので、ぼちぼちとやっていくしかない。明日から12月だ。

今、思い出したのだが、一つ、発見があった。たとえば、今日やるべきことがあれもこれもとたくさんあって、思考が止まってしまっているとしよう。あれやらこれやらが思い浮かんできて結局、体が動かない。なにからどうしたらよいのか頭が働かない。こういう時に、「今できることをやる」と自分で自分にアドバイスしてみる。するとまずはこれをやろうと、ひとつひとつ物事をやっていくという流れが出てくる。あるいは、忙しいとついうっかりものを忘れたりなどミスが生じることがある。その時も、ミスにこだわるのではなく、「今できることをやる」と一旦考えてみると、ミスの悪影響を最小限にすることができる。今できないことをやることは無理なわけで、「今できることをやる」というのは当たり前のことで、アドバイスとも言えないようなものかもしれない。ところが、意外に頭の片隅に置いておくとよいものである。ということに気づいた11月であった。
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ここにおいて出会うということ

何回も言っているように、このブログは何かを論じるというわけではなく、その時の思いつきを書いている。思いつきなら自分の中でやっていてもいいようなものだが、こうやってブログの記事として書いているのは何故なのであろうか。こういう問いを立ててみて、思い浮かぶことは二つある。一つは、自分の中でただ考えるのではなく、読者すなわち他者がいるという状況で書いてみるという行為、このことが自分にとって刺激になるということがある。もう一つは、読むひとにとって、私の思いつきの文章が一つの刺激になって、何かを考えてもらうきっかけになるのではないかという思いがある、ということである。

精神分析において、分析主体は分析家の現前する状況で自由連想を語っていく。自分の中だけでぐるぐる思考がめぐっているのとは、語るという行為の効果は違ってくる。もちろん、語り方そのものからして、自分の中だけでの思考、言葉とは変わってくるだろう。そういう意味では、精神分析する(精神分析家のもとに行き、自由連想をする)というところまでいかなくても、ちゃんと話を聞いてくれる人、たとえば友人、知人と自由にざっくばらんに話すということは、それなりにけっこう大きな効果をもたらしてくれるような気がする。

こうやって書いていると、どうして今日の話の流れがこうなってきたのかがわかってきた。コロナの前には時々行っていたあるジャズバーに、久しぶりに出かけた。懐かしさと共に、店のスタッフとの会話も楽しめたが、予想以上にお客さんが多く、嬉しそうに歓談している様子も見受けられた。演奏が始まってからもしばらく話し声が続いていたりもして、以前の私であればイライラしたかもしれないが、今回ばかりは、「皆さん、やはり人とリアルに会ったり話したりすることにある意味飢えていたのだろうな」と感じて、微笑ましく思う気持ちが生じた。

コロナ感染状況が今は落ち着いているとは言え、冬になれば空気は乾燥し、換気も秋よりは悪くなる可能性がある。感染再拡大には十分用心しなければいけないのは言うまでもないが、リモートやメールなどでの交流ではなく、実際に人と会うことの貴重さや意義深さはあらためて感じるものがある。
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これから

今、これから今回の記事を書こうとしている。何を書こうか。まず、思いついたのが、これから、ということだ。今回の新型コロナ感染症の波は今までにない大きなものだった。ようやく落ち着いてきて、緊急事態宣言は明日で終了となる。考えてみれば、明日で9月も終わり、今年もあと3カ月となってしまった。今年度ということで考えれば、間もなく下半期に入ることになる。

旅行にコロナ禍となってから行っていないが、いい加減そろそろ行きたい気分だ。今まで感染者は増えたり減ったりの繰り返しだったし、気を許せば元の木阿弥だろうから注意はしないといけないが、感染の波も経済の回り具合も、これからは今までとは違うよい方向に向かってほしい。

今日は自民党の総裁選があり、岸田文雄氏が総裁に選出された。これからどういう舵取りをされるのかはわからないが、とりあえず、ひとの話を聞いてくれる態度はほっと一息つけるような感覚がある。

他人事ではなく、自分の事として考えることは生きていくことの基本であろう。コロナもたぶん自分は罹らないだろうとか、重症化しないだろうと、安易に考えてよいはずがない。政治も、自分の1票くらいは、大勢に影響ないなどと冷めているのはいかがなものだろう。環境やエネルギーの問題も他人事ではない。明日の自分の生活に直結するのである。

精神分析のこれからは?私にとっては重要なテーマだが、ラカンの晩年の考えには興味がある。もちろん、ラカンを単に追及するのは私の本意ではない。仏教、禅、森田療法、この辺りと精神分析との絡みを思索していきたいと思っている。




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心と身体といのち

神田橋條治先生の著書を購入した。正確に言うと白柳直子氏との共著で、二人の対談を編集したものである。題名は「心と身体といのちのこと」(IAP出版) で、まだ一部しか読んでいないが、なるほど内容に沿った題名だなと感じる。この三つは分けがたい。最後に「こと」と来て題名が終わっているのと「と」と「の」の使い方が素晴らしい。題名にもこの本のいのちを感じる。

この本の最後の方に、引力のイメージを使った「リラクセーション」法というのが載っている。初め、チラッと見た時はなんのこっちゃと思ったが、とりあえずちょこっとやってみたら、なるほど、という気がしてくる。

いろいろと多くの連想が出てきそうだ。自分なりの感想を大事にしながら、読んでいくことにしよう。
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シンプル

いよいよ暑くなってきた。強い日差しの中で蝉が鳴いている。猛暑でもマスクをするという昨今の状況、熱中症には気をつけないといけない。

一昨日は東京オリンピックの開会式だった。テレビで断片的に見たが、一番、感動したのは天皇陛下の開会宣言だった。無駄がなくとても短い言葉だが、簡潔でありながら、人々の安寧な生活や世界の平和を願う陛下のお気持ちが滲み出てくるような気がする。

昨日は調理器具を購入した。実のところ、あまり使い勝手のよいものではなかった。見かけはきれいでオシャレだし、機能も従来のものよりグレードアップしていることになっているが、古典的なものの方が作りはしっかりしているし、使いやすいことに気づいた。まあ、こういうことも勉強である。

見かけにだまされず、シンプルなもの、本質的なものに、目を向けたいものである。
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半分

今日は6月30日。今年も半年が過ぎたということだ。明日からもう今年も後半に入るのかと思うと、時間が経つことの早さに焦りの気持ちが生じてくる。焦ったところでいいことはないので、ここは地道にコツコツ一歩一歩、と気を引き締めたいと思う。

焦る気持ちの背景には、今年が半分というところから連想すると、自分の人生はどうかということがある。還暦を過ぎた私にとって、どんなに長生きしたところで、とっくに人生の半分は越えてしまっている。しかも元気に活動できる期間はと考えれば、さらに短いものになる。時は貴重だ。かと言ってあれこれやろうと思っても、ばく進しんするような体力はない。結局はできる範囲で少しずつやっていくしかないのだろう。

若い頃はシニアの気持ちを推し量ることが難しかった。今は同年代の感覚はこんなものかと、自分が当事者だからわかるし、自分よりある程度年上の人の感覚も多少は推量することができる。つまりは年取ってみてわかるということもあるということだ。

半分。そこには、あるものとないもの。今までのものとこれからのもの。どっちもどっちという葛藤。いろいろなものが凝縮されている。
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何気ないこと

今日は日曜日。起きがけにいくつか夢を見た。今の時間になると記憶が薄れてきている。以前よく会っていたが今は会っていない人が出てきて、半分覚醒した状態で、何か連想することはないかと思っていたら、ずっと以前によく会っていた別の人のことが浮かんできたりした。思えば、ずいぶんと多くの人と出会ったものである。友人や仕事の同僚の他に、仕事自体が人と会うことなので、今やトータルで何人くらいの人と会い話をしたのかなど、数えることもできない。

これは誰もが読めるブログなので、それぞれの人のことを書くわけにはいかないが、私の中ではいろいろな記憶や思考が渦巻いている。このこと自体が大事なことなのだろう。夢というところから今日の話が始まったのだが、一応、精神分析を念頭に置いているからそこから今回の連想が始まったのであろう。そして、夢を見たのは、最近の実生活の現状や私の考えていること、さらにはこのところラカンのセミネール11巻を読み直していて、その中にフロイトが引用され夢のことが出てきたということもきっかけになっているのだろう。

分析家として分析主体の話を聞くときも、実は話されていること以上の記憶や連想がバックにたくさんあり、話されたことはその一部だということは頭の片隅に置いておいてよいのだと思う。だからこそ分析主体が分析を進めようとしている限り、何気ない話にもそれなりに意味がある。お父さんがどうのお母さんがどうの、すなわちエディプス葛藤がどうのという話ばかりが、高級な内容だというわけではない。
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昭和の日に思う

連休が始まった。今日は、昭和の日らしい。らしい、と言うのもどうもこの名称は私にはピンとこない。昭和の時代には天皇誕生日だった。4月29日と言えば、天皇誕生日というのが、私の感覚なのである。今は平成を経て、令和も3年となったわけだが、今日は東京では新型コロナ感染者数がまた千人を越えたとのことだ。感染力の強い変異株が主流になっているのが気になる。この状況ではオリンピックの開催は無理だろう。代表に決まっている選手や準備に邁進してきた関係者は無念だろうが、少なくとも私の頭でいくら考えても開催できる気がしない。これからどういう流れで中止になるのだろうか。それを注視していきたいと思っている。

夢を描いていたことが残念なことになってしまう。残念なことはなるべく少なくあってほしいというのが人情だが、しばしば起こることである。入学試験に落ちてしまう。大好きで結婚したのに、離婚になってしまう。事業が発展していたのに不治の病となり、余命を意識する状況となってしまう。様々な人生がある。プラス思考でやっていこうという考えはよいとは思うのだが、うまくいかないこと、残念なことも、それはそれとして認めてやらなければならない。

認める。そこから新たなスタートが始まる。私がごくふつうの精神科医とならず、精神分析家となったのも、医師国家試験に落ちた。そのことがスタートだったと思う。誠に有難いことであった。
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日々ひたすら

間もなく4月。年度の変わり目で、卒業、入学、転勤など節目となる時期だ。私は4月から精神科医としての仕事が減ることになる。長年付き合いのある患者さんとも別れて次の医師に託すことになる。

自分の、この国の、この世界の、未来はどうなっていくのか?私の思考はこのところ未来を向きがちなのだが、未来を直接つかむことはできず、いまを積み重ねるしかない。
白隠禅師坐禅和讃に勇気づけられる。

衆生本来仏なり 水と氷の如くにて
水を離れて氷なく 衆生の外に仏なし
(以下略)


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山口百恵

先週の土曜日(1月30日)、帰宅してNHKテレビをつけると山口百恵が歌っていた。「伝説のコンサート山口百恵1980.10.5 日本武道館」という番組だった。おや、ずいぶん久しぶりにテレビで見るなと思っているうちに引き込まれて最後まで魅入ってしまった。

引退直前の武道館でのコンサートの様子なのだが、エモーションが伝わってくる歌い方は他に比肩を許さない。声楽的な歌唱力とは別次元のものであり、凛とした立ち居振る舞い、饒舌ではないが優しさと真心の波動に彩られたトーク。間もなく引退するというベテランのような貫禄の彼女は当時、21歳だった。私は同世代なので、デビューの頃からテレビやラジオで自然に流れてくる歌をリアルタイムで聞いていたのだが、40年以上を経た今の私が見て、あらためてこれほどまでにすごい人だったのかという驚愕に包まれた。

1980年というのは、浪人して苦労した末、地元を遠く離れ、ある医科大学に私が入学した年であった。私にとっては学びとキャリアの始まりだったが、山口百恵にとっては、歌手であることを辞めた年であった。始まりと終わりは別のこととして捉えることはできない。彼女はそのことを既に知っていたように思える。自らを鼓舞し、私は私の道を自分なりに進んでいくしかない。
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