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ないっす

あっ、ない。あるはずの銀行ATM がない。使う人が比較的少なくあまり並ぶ必要がないある所のATMが撤去されなくなっていた。先日、新聞の自動販売機がなくなった話を書いたのだが、似たようなことがまた起きた。うーん、世知辛い世の中だ。トホホという気持ちだ。

ATM を運用するのは費用も手間もけっこうかかるらしいが、使用頻度が少ないということで撤去ということになったのであろう。新聞の自動販売機がなくなったショックから立ち直ったところで、このパンチは強烈であった。これしきで落ち込むわけにもいかない。気を取り直すことにしよう。

このように思いがけない出来事と遭遇することを、ラカン理論で言えば、現実界との出会い、ということになる。自分が精神分析を受けていた頃も、当然のことながら突然ビックリするようなことはあった。慌てふためいた私は、分析セッションで、元々口数の少ない私がよくこんなにしゃべれると思うほど、滝のように言葉が口をついて出てきた。話すことで、現実が変わるというわけではないが、落ち着いてくる。乱れた気を取り戻すのである。そして、そういう経験をしておくと、別の何かがあった時に、動揺することが以前よりは少なくなる。こんなことがありました、と事実を話すだけで、何か特別な洞察のような高尚が考えが浮かぶわけではないが、話すということ自体の効用があるのである。

精神分析は具体的なアドバイスを分析家からもらう場ではない。「ただ話すだけですか?」と自由連想(思いついたことを話す)することをくだらない無駄なことのように思ってしまう人もいるが、話すということの意義、効用の一つとして、このようなことがある。今はマニュアルやハウツーが幅を利かせている時代なので、精神分析は旗色が悪いが、話すこと自体の効用を強調しておくことも意味があるかもしれない。
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