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先日、夢を見た。N先生が現れ、私は自分の書いた論文の原稿を先生に渡し、ここはこうしたらいいなどコメントを書いて頂いたものが戻ってきた。おもしろいのは、私が挿絵のようなものを描いていて、それに先生がきれいに色をつけて素敵な絵に仕上げていたことだ。N先生は私の精神医学、精神医療、精神分析の師匠である。師から伝達されるものは文字には表せないものがある。そして、師から弟子への一方向ではなく、双方向のやり取りがあり、その上でものごとの神髄が伝達されるのである。N先生は、昨年2022年の4月に亡くなっている。そのことは今までこのブログに書かずにいた。書かずにいたというよりは、書けなかったという方が正確なのかも知れない。先生が亡くなったことを認めたくないという思いがこころのどこかにあったような気がする。N先生は西園昌久先生のことなのだが、いろいろと書き出せばキリがない。記憶を辿ろうとすれば、なつかしくもあり、苦しくもある。一言だけ何か言おうとすれば、感謝の念、それしかない。

話は変わるが、今月、3月末で長年勤めた精神科病院を退職することになった。これまでいくつかの病院やクリニックに勤めたが、今までで一番在籍期間が長かった。名残惜しく寂しい気持ちはあるが、残りの勤務を全うし、4月からは新たな気持ちでいろいろなことに取り組んでいきたい。

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謹賀新年2023

新年おめでとうございます。
今年もよろしくお願い致します。

大晦日は数年ぶりに友人に会い歓談し、正月は遠出はせずゆっくりすごし、新年の始動となった。今年の標語のようなものは「一つ一つ」にしようと思う。「じっくり」とか、「地道に」も好きな言葉ではあるが、掛け声ばかりでなかなかやれないということも多いので、「一つ一つ」の方が一歩一歩進んでいきそうな気がする。

ということで、まずは一つ、進んだ。
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無ー意味

今年もあと3週間ほどとなった。慌ただしい日々が続いている。コロナ禍となり、学会も中止となったり、リモートでの開催となったりで変則的であったが、今年の精神分析学会は久しぶりの現地開催となり、しかも横浜だったので、出かけてきた。やはり、直接人と会い、話を聞いたり討論することは、意義深い。

その後も、カンファレンスや研究会が続いた。先日の研究会は単発の企画で比較的少人数だったが、いろいろな連想が起こりワクワク感があった。やはり勉強というのは、おもしろいという感覚が大切だ。しなければとか、やらされているという感覚では、どうも身が入らない。精神科専門医も一応持ってはいるが、更新には学会へ出席しポイントやら単位を取得し、レポートも書いてと、やたらと煩わしい。まあ制度としては仕方ないのかもしれないが、次回の更新はやめようかという気持ちさえ起ってくる。

世の中の出来事はいろいろある。国際情勢ではロシア、ウクライナの問題。円安、物価高の問題。つい先日はサッカーのワールドカップ。いろいろ考える材料はあるのだが、このブログの記事は滞っていた。どうも、考えを文章にするという気になりにくい、ということもあるようだ。今年になって、人生観や世界観、と言うと大げさだが、自分の思考様式が変化しているような気がする。そうなると、今、こうだと考えたことが、明日にはああだになってしまうのではないかという気持ちが起こる。思考自体がふわふわと浮遊したものになり書きとめようという気になれないのである。

今年はラカンのセミネール10巻「不安」を読んでいるのだが、今、ぱっとページを開いたら、「不安」「動揺」という文字が飛び込んできた。そのあたりはまだ読んでいないのだが、私の無意識がその文字に吸い寄せられたということだろうか。

とりとめのないことを書いているのはわかっている。でも、くだらないとか、無意味だということでもない。無意味なのではなく、「無ー意味」だとか「無」が背景のテーマなのか?いまは、そんな気がする、としか言えない。
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シンプルな夢

いよいよ気温も下がってきて、秋らしくなってきた。
しばらく前のことになるが、夢を見たのでメモとして記しておこう。

私は図書館の視聴覚教室のようなところにいる。
机上の機器をいじっていると、モニターから音が鳴りだした。
そもそも私はその機器のことがわかっていないのでどうすることもできない。
「このおじさん、何やってんだろう」というような目でこちらを見る人もいる。
近くの若者に助けを求めると、あっと言う間につまみを調節してくれて事なきを得た。
その若者は私の持っている本を見て言う。

若者: 精神分析ですか?受けたりするんですか?
私: 昔、受けていたことがあります。
若者: どうでしたか?
私: 私にとってはよかったですよ。

シンプルな夢なので、いろいろな連想が湧きそうだ。
いくつか浮かぶことはあるが、それを書いてしまうと連想が限定されてしまうので、素材だけでやめておくことにしよう。
一つか二つだけでも連想を書きたくはなる。いやいや、ここでおしまい、と私の中の分析家が言う。
従っておくことにしよう。



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蝉語

ふとソファーを見ると、蝉が止まっていた。なぜこんなところにいるのだろう。いくら考えたところで正確な答は出てこない。背もたれのところなので、そこに蝉がいる限り座ることはできない。

平穏無事に外に出ていってもらいたいものである。とは言え、誘導するのが一苦労だ。下手をすると蝉が驚いて部屋中を無茶苦茶に飛び回り、悲惨な状況となることも考えられる。今のところはじっとして一歩も動かないので、静観することにした。というよりは、よい案が見つからないのである。知人にメールしてみたら、ビニールでつかんで逃がすくらいしか方法はないのではないかと言う。最後はそうするしかないかもしれないが、逃げようとして暴れて羽が傷ついてしまう恐れがある。

結局、蝉はソファーに泊まったまま、一晩を越した。翌朝も動かずにそこにいる。よくもそんなにじっとしていられるものだ。もちろん、勝手に動いて見えないところに隠れてしまうよりそうしてくれる方が有り難い。

ソファーから1メートルほど離れたところで、シャツにアイロンをかけた。そこはアイロンをかけるいつものポジションである。それにしても夏のアイロン掛けは暑い。突如、蝉が短く2回鳴いた。ミンミンでもジージーでも、おーしんつくつくでもない。あまり聞かない声である。外に出たいという意志表示なのであろうか?なぜかそういう考えが起こってきて、ガラス戸と網戸を開けた。蝉はまたたく間に、外に飛び出ていった。

蝉はたまたま迷いこんで出られなくなったのだろう。私は自由な外に出ていってほしいし、蝉もそれを願っていたのに違いない。日本語は通じない。私としては、私が蝉に危害を加えないということをなんとなく伝えるしかなかった。蝉は蝉なりに、ここぞというタイミングを待ち、自分なりに意志を表そうとしたのではないか。

蝉もほっとしたに違いないが、私もほっとした。
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反省と許容

コロナ関連での状況もだいぶ変わってきて、最近はあちこち人出が多い。先日、立ち食いの蕎麦屋で行列ができていてビックリした。立ち食いはいわゆる客の回転が早いわけだが、それでも行列になっている。一方で、カフェに入れず待っている人がいるので、すぐに入れるので重宝していたカフェに行ってみると閉店になっていたということもあった。

ある飲食店に入ると、初めて見る店員がいた。注文してもいったいどんな食べ物だろうという架空の名前を呼称したりで心許ない。梅酒を頼んだところ、ふつうのものではなくブランデー梅酒を注いでしまったらしい。ベテランの店員が「間違って注いでしまったんですけど、いります?」と聞いてきた。私には1杯で十分なので、断った。その後が問題なのだ。ブランデー梅酒ってどういうものなんだろう?ふつうなら注文しないところ、せっかくの機会なのだからもらえばよかった。いや、2杯も飲むのは飲みすぎだ。気分が悪くなるだろうし飲みすぎだ。いや、やってみないで、あれこれ考えるのはよろしくない。等々、余計な考えが湧いてくる。ちびちびと梅酒を飲んでいるうちに料理が来た。食べ終わる頃にはなんとなくホワっとしてきて酔いが程々に回ってきたようだ。やはり、このくらいが丁度いい。1杯にしておいてよかった。

ということでぐだぐだした迷いも収まったのだった。いろいろな状況で似たようなことはあるのだろう。人との関係でも、自分が言ったこと、メールしたことで、後であれはどうかなと思ってしまうことがある。日常生活ではどんどん判断しやっていかなければならないことが多い。たとえ熟考したとしても、それがベストかどうかはわからない。迷いだせばキリがないのだ。

大事なのは反省と許容ということなのではないか。自分の行為をすべて正しいと思って、何も反省しなければ傲慢であり進歩はない。かと言って、あまりに自分の至らなさを責め続けるというのも行き過ぎであろう。振り返った上でそれはそれでよしとして、前へ進む。まあそんなやり方がいいのではないのだろうか。というのが今日の自由連想である。タイトルは、反省と許容としよう。
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ゴールデンウィーク

今日からゴールデンウィークが始まった。外では梅雨のような雨が降っている。明日は天気は回復するらしい。昨夜は、皿を割ってしまった。カップの受け皿で、ずいぶん古いものなのだが、食器棚にしまおうとして、手から滑り落ちてしまったのである。あっと思った時には、手を伸ばして阻止する暇もなく、床面にぶつかり割れる受け皿を見届けるしかなかった。

割れてしまうという現象は残念だが、それはそれとして事実を受けれいれるだけしかないのだと感じた。考えてみれば、カップは1個しか残っていないが、受け皿はまだ3枚あるのである。たぶん、当初はカップと受け皿は4つづつあったのだろう。カップは割れるか欠けるかで3個が廃棄されて、受け皿は4枚とも無傷だったのだろう。つまり受け皿は1枚あればこと足りるところが、余剰の受け皿は処分されずに残っていたのだ。食器棚を見て、やたらと受け皿が多いなとは思っていた。どうも数が合わないので、少し処分してもよいのでは、とは思っていた。ところが数を確認するのも面倒で、そのまま放置していた。そう考えれば、今回、落として割ってしまったことにより自動的に不要なものを処分できるのだから、メリットもあったと考えることはできる。数と、損得勘定の問題はその程度で、これ以上、考えたところで何も生まれそうにはない。

ふと、今、読んでいるラカンのセミネール10巻「不安」のことが頭に浮かんだ。一応、不安がテーマになっているが、不安を考える際に絡んでくる「対象a」のことを思った。対象a はラカンが提唱した概念だが、ラカン自身の説明や解説書を読んでも、字面だけではまあそういうものかという感覚にはなるのだが、どうも実感、体感として理解できるということが難しいのである。はっきりとしない捉えどころのないものでありながら、無いというわけではない、という特性があるので、説明自体も隔靴掻痒で、わかるようなわからないような、というものになってしまう。だが、この落ちて割れた受け皿のことを考えると、アナロジー的に対象a が実感されるような気がしてきた。あっと思って、皿が落ちる刹那。使用できるものとしての受け皿が破片になり屑になってしまう。そして、これがなくなったからといって困ることはない、つまり他にも受け皿はあるのだから。余剰なものとしての受け皿が落下し屑になったのである。こういう実感したものを仮の道しるべとして、対象a について書かれている部分を読んでみると、理解が進むのかもしれない。

いずれにしても、理論というのは字面だけで頭で理解しても、なかなか臨床には直結しない。それにしても、私が几帳面で、いらないものは捨てようという考えを実行に移していたとしたら、受け皿を落とすこともなかったわけだ。これは余剰な連想かもしれない。このあたりで、おしまいにしよう。

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いいこと

年度末となり慌ただしい日々が続いている。明日からは令和4年度となる。連日、ニュースはウクライナのことで大変な状況が伝えられているし、コロナもまん防が解除となったと思ったら、またもや増加傾向に転じた感がある。先日、研究会があったが、結局、オンラインのみとなった。そして続々と物の値段は上がる。このブログは月1回の記事が慣例のようになったが、そうすると決めているわけではない。なんとなくそうなったのだ。

とは言え、今日を逃すと4月になってしまうので、それも悔しい気がして今、書いている次第だ。あれもこれも大変だという話になってしまっている。現実がそういう状況なのに、そういう表現ばかりではこれまた悔しい。今は桜があちこちで咲いている。花見をするというわけではないが、通りすがりでもやはりきれいな花を見るのは嬉しい。ゆったり過ごす気持ちを持ちたいものだ。

世界のあちこちで命の危険にさらされている人が大勢いる。ある国際的団体にこころばかりの寄付をした。郵便局のATM を使おうとしたのだが、はじかれてしまってうまくいかない。別の機械でやり直したがやはりダメだ。窓口に行く時間的余裕もないので、別の機会に本局に立ち寄った。どうせだめだろう、直接窓口に行こうか。いや、待てよ。一応、トライはしてみるか。ATM でまずはやってみたところ、一発で操作が完了した。たぶんダメかなという弱気な気持ちをなんとかなだめ、やってみたらすんなりうまくいってしまった。

いいことがあった。
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今年の標語はこれ

寒い。霙(みぞれ)が降っている。東京では雪が降っているし、山間部では積もっているとニュースが報じている。冬季オリンピックは部分的にちらちらと見ているが、いろいろなドラマがある。メダルを取れる実力がある者が必ず取れるというわけではない。せっかく取っても、本人は金を熱望していたので、他のメダルでは今一つ満足感がない、等々。オリンピック選手に限らず、人生は思うようにはいかないことがしばしばである。逆に思いもかけずよいことが起きる場合もある。まさに人生いろいろだ。

コロナも昨年秋は落ち着いていたが、今は感染疑いの人があまりに多くて検査しようにもキットがなくてできないという状況があちこちで起こっている。

思うようにはいかない。そのために不安が生じたり、うつ状態となることは珍しいことではない。そこに泥沼のようにはまり込んでしまうことは避けたいものである。

父が亡くなっておよそ20年。読書とゴルフが趣味だったが、書斎にゴルフの本も多数あった。処分してしまって、今は何も残っていないと思う。アメリカのレッスンプロがゴルフの基本について書いた本があった。こころの安寧 (peace of mind) が大事だと書いてあった記憶がある。たぶんゴルフに限らず、いろいろなことに応用可能だと思って記憶に留まっているのではないかと思う。ゴルフは、単に技量が優れているだけでは、よい成績は望めないだろう。風雨に悩まされたり、ナイスショットと思っても、着地の具合で思わぬ方向に跳ねてバンカーに入ってしまうということもあるだろう。そういう思わぬ出来事にも動揺せず、次のショットに集中しなければならない。あるいは全体的に調子がよい日、悪い日というのもあるだろう。調子が悪いからといって、もうダメだと投げ出したのではどんどんスコアは悪くなるばかりだ。調子が悪いなりになんとか凌ぐという姿勢が必要であろう。

精神症状で、過呼吸というものがあるが、呼吸がしにくいので、頑張って空気を吸おうとする。結果的には浅く早い呼吸となり、生理学的にはどんどんバランスが崩れ、意識レベルが低下するなど事態は悪循環的に悪くなってしまう。過呼吸が起こった場合は慌てないこと、できる範囲でゆっくり深く呼吸をすることが大事だ。

慌てない。ゆっくり、じっくり。そう言えば、今年の標語のようなものを考えていなかった。これにしよう。
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謹賀新年2022

新年あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願い致します。

晴れて穏やかな日。きれいな写真を撮って掲載すればよいのだろうが、ふだん写真をほとんど撮ることはなく、このブログも文章のみで続けている。今年もその様式、ペースでやっていこうと思っている。訪問してくださる方、nice をくださる方がいることは有難い。もしもブログを見る人がゼロであれば、自分だけで日記でも書いていればよいのだから。コメント欄も開けていないので、この場を借りてお礼申し上げます。

皆さまにとってよい年となることを願っています。
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