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何を書くかも考えずに書いてみる

明後日は新年となる。1年前はどういう状態だったのか、どんなことを考えていたのかと振り返ると、すぐに思い出せることもあれば、記憶がおぼろげとなっていることもある。大晦日はジャズクラブのカウントダウンライブに行った。その前の年も行った。今年、つまり明日はどうしようか。まだ決めていない。夕食は家で食べて気が向けば行くだろうし、向かなければ行かないだろう。一昨年も昨年も行くのが当然という感覚があったが、今年は行くもよし、行かぬもよしという感覚だ。その時の雰囲気で決めればよいのだと臨機応変になったのか、あるいは年を取ってきて夜中に出かけるのが面倒になってきたのか。まあ、そんなことはどうでもよい。

この1年、あっと言う間に過ぎてしまった。だが、考え直してみると、いろいろなことがあり短かったと言い切れない気もする。時間の感覚というのは不思議なものだ。1時間、1か月、1年と数字で示されると一定したものとつい思ってしまうが、感覚は時によってあるいは場合によって違ってくる。ラカン派精神分析のセッションにおいて、45分とか50分とか決めず、可変的に行うことが、人間が生きる上での本性を呼び覚ますことになるのかもしれないなどという連想も湧いてくる。時計で時間を測るようになったのは、人類の歴史から言えばつい最近のことだろう。昔は、朝、昼、夕、夜くらいの区分しかなかっただろう。それとは別にのんびり何かをやる時間があり、他方では、瞬時に判断、反応する時間、というものがあった。たとえば、山道でクマに襲われた場合などである。思えば、人生そのものも、終わるということはわかっているが、いつ終わるかなど誰も予測はできない。

私の知り合いの友人は病気となり余命を宣告された。本人は吹っ切れたのか、親しい友人を呼びパーティーを開いた。病気のことを話題にすることもなく、楽しい時間を過ごし、パーティーがお開きとなり、参加者が帰るのを見えなくなるまで見送っていたのだそうだ。

充実した時間とはどういうものなのだろうか。ひとが生ききるということはどういうことなのであろうか。この問いにこれという答えはないだろう。ただ、自分がいつかある時に亡くなる時に、悔いなく、そしてひとびとに感謝して彼岸に向かいたいものだ。

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そろそろ今年もおしまい

11月下旬に日本精神分析学会第64回大会が京都であり参加してきた。いろいろと勉強になり、また恩師のN先生など旧知の方々に会ったり、新しい知り合いもできたりと、有意義だった。せっかく京都に行ったのだが、観光する時間はなく、とは言え、夜にはジャズバーに行って店の人と歓談したり、充実感のある旅だった。来年の大会は10月に札幌で開催されるとのことだ。

次は、12月16日に日本ラカン協会の年次大会が都内であり、年内の大きな行事はそれでおしまいになる。

まだ気が早いが、来年はどういう年にしようか。考えたいという気分になってくる。豪州から日本に帰ってからは、臨床にどっぷり浸かってきたが、このあたりで本を読んだり理論を勉強する時間を増やしたいような気もする。ここ数年、海外に行っていないが、いい加減そろそろ出かけたいものだ。語学もやらなければと思いながら、さぼってばかりで結局は退化する一方なので、なんとかしたい。趣味のジャズにも力を注ぎたい。いろいろやりたいことはあるが、健康第一でぼちぼちやることにしよう。

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