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いま・・

5月も残すところ数日。あと1か月で今年も半分を経過したことになる。早いものだが、感慨に浸ったところで何の意味もないので、やれることを着実にやっていくしかない。

草間彌生の展覧会はもう一度見ようと思いながら終わってしまった。しかし、ざっとでも見ておいたということで後悔の念はない。ミュシャの展覧会も丁寧には見られなかったが、滅多に見ることのできない作品を一応見ることはできたという点では満足している。仮に両方ともまったく見ていなければ、行っておけばよかったと愚痴をこぼしているのかもしれない。

人間、というか生物はいつ死ぬかわからない。いつこの生が終わってもよいように、いまを充実させて生きていきたいものだ。かと言って完璧をねらってしゃかりきになりストレスまみれになるのは、逆に充実した生とはならないだろう。

私がジャズ好きなのは今までもたびたび記事に書いてきた。昨年秋くらいからたまにジャズを歌うようになった。素人がプロの演奏と一緒に歌えるヴォーカルセッションという催しがあって参加するようになったのだ。きっかけは、生の音楽を聞きながらコーヒーを飲もうかとあるジャズバーでのセッションに立ち寄った際に、店主に歌ってみませんかと誘われたことだった。何十年もジャズを聴いてきたが、人前で歌うのは初めてだった。人前はおろか、私はふだんカラオケにも行かない。まったくのぶっつけである。なんの練習もしていないのだから、ボロボロに崩れても恥ずかしいことはないと開き直ったのがよかったのか、初めてにしてはけっこううまくいってしまった。いわゆるビギナーズラックといういうやつだろう。なんだ歌えるじゃないですか、とかほめられているうちに、その気になってきて、以後、ヴォーカルセッションに出かけるようになった。先日は、知り合いのジャズ歌手のライブの枠に誘ってもらって、数曲歌うということがあった。セッションは練習のために来ているお客さんが集まる場だが、通常のライブで歌うというのはそれと違って段違いに緊張した。直接お金を稼ぐわけではないものの、お客さんの前で歌うというのはこういうものなのか、と新しい経験になった。

客席にいるという視点とステージ側の視点は違う。もちろん、実際に見える景色も違う。一応、リハにも参加すると、どんなところに気をつけて準備をするのかということも知ることができた。そして、違う視点に立つと、今まで長年続けてきた聴くことの質の向上にもなるということがわかった。今まで見えていなかったことや聴けていなかったものが聞こえるようになるということだ。

このように考えていくと、ちょいと歌うようになりました、ということだけに留まらず、ものごとを見るということはどういうことなのかと一般化することにもつながる。還暦もそんなに遠くない年になって、新しいことを始めてみるというのも悪くない。歌詞を覚えようとしたり、声を出すということは、脳の活性化にもなりそうだ。人生何が起こるかわからない。
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こころの分析

私は長いこと精神分析に携わってきた。最初はおもしろそうだとか、勉強していけば何か役に立ちそうだとか、そういう思いがあってこの道に入った。精神分析という高尚そうな文字も魅力の一部ではあったのかもしれない。

ところが、数十年するうちに、漢字4文字並んでいる見栄えが、腕組みしてしかめっ面しているように思えてきた。勉強、研修が進み、自分の分析室を開こうと思った時には、この堅苦しい4文字をなんとかしないといけないと考えた。私は世間的には知られていないから、精神分析をベースにやると言っても、精神分析などというものは知らず、悩みがあるからどこかカウンセリングに行こうと思って訪ねてくる人もいるだろう。だが、そういう人が「精神分析」という言葉をどう思うだろうか?ここは「精神」を分析してくれるところなのか?分析ってなにやら難しそう。人によっては、精神を分析するなんて恐ろしい、なんて思ってしまう人がいるかもしれない。

そこで、いろいろ考えた挙句、決めたのが「こころの分析」という言葉である。私の知る限りは今までこの言葉を使った人はいない。英語で言ってしまえば psychoanalysis なのだが、漢字というものは一応日本語とはいえ輸入物である。ひらがなは漢字の影響があるものの日本で発明されたものだ。そういう意味では日本での精神分析ということでは、「こころの分析」という言い方の方がマシである。

そして、それ以外に、以前、神田橋條治先生のおられる病院で研修をしていて、その病院を辞する頃、神田橋先生から記念にと頂いた本の題名が「治療のこころ」であり、その思い出や神田橋先生から受け継いだものや宿題を自分なりに解こうと今まで考え工夫してきた諸々のこと、そういったものがごっちゃになって、「こころ」の中に含まれているのだろうと思う。

こころを分析する、という意味で使ったわけではないので、取り違える人がいるだろうが、まあそんなに厳密に考える必要もないだろう。言葉というのは完璧なものではないし、発信する人と受け取る人との間でのギャップがあるのは当然のことだから。今でも精神分析という言葉を使わなくてよかったなと思う。
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