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生きているということ

慌ただしい日が続いた。仕事も立て込んだが、パソコンの調子が悪いのも余計な時間を費やす原因だった。パソコンでやることをスマホでやるのは時間がかかる。目も疲れる。おまけに、メールで最近流行っている絵文字のようなものを送ろうとしたら、自分の意図する絵文字とはまったくかけ離れたものが勝手に送信されてしまい、慌ててお詫びの文章も送らねばならない羽目に陥った。余裕のない時に慣れないことをするものではない。

今日は午前中休みを取ってあったので、パソコンがうまく作動するようなんとか対処して、このブログの記事も久しぶりに書いているところである。やはりスケジュールというのはどこかに余裕を作っておくのがよい。それにしても、パソコンがうまく作動しないとこうも不便なものか、と思い知らされた。

さて、今日はこんなことを書いているのだが、それはなぜだろう、と考えてみる。こういう状況だったという自分のためのメモという意味合いもあるだろう。しばらく記事の更新ができなかったことの言い訳のような意味合いもあるだろう。そして、読者の中には、この空白の時間がなんなのだろうと訝るひともいたのでは、という私の推測からの連想ということもあるのだろう。実際、何も情報がなければ、私はどこか海外に出かけているのかもしれないし、事故か病気で入院しているのかもしれないし、その先は直接的には書きたくないが、もはやブログを書くことができない状況となっているのかもしれない。謂わばそこには感情の揺れ動きが生じている。そのようなときには、こころが安定するように自分ができることはなんとかしたいと思う、一種の職業意識のようなものが働くのかもしれない。

ブログは読むひとを特定しているわけではないが、それでもこのようにひとのことが気になることがある。まして、直接交流しているひとの思惑や考えなどが気になることは日常生活では常に起こっているだろう。ひとのことを考えることは必要なことではある。しかし、そのことに自分が振り回されてしまって、自分を見失うのでは本末転倒である。

あなたはなにを望んでいるのか?どうなりたいのか?なにになりたいのか?

そのことを問うのが精神分析家としての役割だと、私は思っている。

望み。それは、腹が減って食べたいとか、酒を飲みたいとか、多くの金を稼ぎたいとか、有名になりたいとか、そういったレベルのことを言っているのはない。ひととして生きている、ということである。ひとと動物の違い、そこに大きな問題がある。
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仮説を考える

早や2月だ。本当にまごまごしているうちに半年、1年が過ぎ去りそうだ。ラカンの「転移」はもうとっくに読み終わっているはずなのだが、まだ邦訳の上巻も読み終わっていない。他にも読みたい本はたくさんあるが、なかなか進まない。趣味のジャズライブも昨日行きたいと思っていたのだが、断念した。愚痴のような話から始まってしまったが、結局は慌てずできることをぼちぼちやっていくしかない。

精神科でも精神分析でも臨床を考えるときには、仮説を頭の隅におくということが大切になる。まずは、事実を把握する。それは、例えば入院病棟では患者さんの言動がどうなっているかを知ることである。精神分析では、分析主体(分析を受けている人)の発する言葉そのものをまずはそれとして受け取るということである。

その次に、その背後にある環境的なことや、こころのメカニズムといってよいものがどう動いているのかを、考えてみる。もちろん、考えたところで、そのことを直接的に実証することは不可能なことがほとんどである。考えはあくまでも仮説なのである。科学的な実験であれば、仮説を立てて何度も実験をして想定通りの結果が出れば、仮説が正しかったと判断するのだが、こころの領野はそのようにクリアな世界ではない。

今の世の中の風潮としては、エビデンス、すなわちはっきりした証拠や統計など目にみえるものを重視するので、こころの問題を思考の上で考えることは軽んじられる傾向はあるのかもしれない。精神病理学の衰退もそういった世間の風潮の反映という見方をしてもあながち間違いではないだろう。

私は実験というレベルでの実証ができなくても、仮説を立てることには大きな意義があると思う。ただ、その仮説にも優劣はある。仮説が当たる確率を高める努力が必要である。言い換えれば、ちゃらんぽらんの仮説ではなく質の高い仮説を目指すということである。この仮説を考えることは、誰にでもできる。IQがすごく高くないといけないということはないし、一流大学を出ているとか、博士号や修士号を持っているとか、特別な資格を持っているとか、そういう見かけの肩書とは無縁である。

仮説を考えてみることはどの分野でも大切なことだろう。社会や経済、世の中の動きを見るときにも、いろいろな情報を集めた上で、その背後にはどういうものがあるのか、あるいは、こっちのことがあっちのことへ影響を及ぼしているのではないだろうか、そういうふうに自分なりの仮説を立ててみてはどうだろう?仮説を考えるときには、予想というものも考えることになるだろう。予想が当たるか、当たらないか?それは、自分の仮説を考える能力の鍛錬にもなる。
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