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蝉語

ふとソファーを見ると、蝉が止まっていた。なぜこんなところにいるのだろう。いくら考えたところで正確な答は出てこない。背もたれのところなので、そこに蝉がいる限り座ることはできない。

平穏無事に外に出ていってもらいたいものである。とは言え、誘導するのが一苦労だ。下手をすると蝉が驚いて部屋中を無茶苦茶に飛び回り、悲惨な状況となることも考えられる。今のところはじっとして一歩も動かないので、静観することにした。というよりは、よい案が見つからないのである。知人にメールしてみたら、ビニールでつかんで逃がすくらいしか方法はないのではないかと言う。最後はそうするしかないかもしれないが、逃げようとして暴れて羽が傷ついてしまう恐れがある。

結局、蝉はソファーに泊まったまま、一晩を越した。翌朝も動かずにそこにいる。よくもそんなにじっとしていられるものだ。もちろん、勝手に動いて見えないところに隠れてしまうよりそうしてくれる方が有り難い。

ソファーから1メートルほど離れたところで、シャツにアイロンをかけた。そこはアイロンをかけるいつものポジションである。それにしても夏のアイロン掛けは暑い。突如、蝉が短く2回鳴いた。ミンミンでもジージーでも、おーしんつくつくでもない。あまり聞かない声である。外に出たいという意志表示なのであろうか?なぜかそういう考えが起こってきて、ガラス戸と網戸を開けた。蝉はまたたく間に、外に飛び出ていった。

蝉はたまたま迷いこんで出られなくなったのだろう。私は自由な外に出ていってほしいし、蝉もそれを願っていたのに違いない。日本語は通じない。私としては、私が蝉に危害を加えないということをなんとなく伝えるしかなかった。蝉は蝉なりに、ここぞというタイミングを待ち、自分なりに意志を表そうとしたのではないか。

蝉もほっとしたに違いないが、私もほっとした。
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反省と許容

コロナ関連での状況もだいぶ変わってきて、最近はあちこち人出が多い。先日、立ち食いの蕎麦屋で行列ができていてビックリした。立ち食いはいわゆる客の回転が早いわけだが、それでも行列になっている。一方で、カフェに入れず待っている人がいるので、すぐに入れるので重宝していたカフェに行ってみると閉店になっていたということもあった。

ある飲食店に入ると、初めて見る店員がいた。注文してもいったいどんな食べ物だろうという架空の名前を呼称したりで心許ない。梅酒を頼んだところ、ふつうのものではなくブランデー梅酒を注いでしまったらしい。ベテランの店員が「間違って注いでしまったんですけど、いります?」と聞いてきた。私には1杯で十分なので、断った。その後が問題なのだ。ブランデー梅酒ってどういうものなんだろう?ふつうなら注文しないところ、せっかくの機会なのだからもらえばよかった。いや、2杯も飲むのは飲みすぎだ。気分が悪くなるだろうし飲みすぎだ。いや、やってみないで、あれこれ考えるのはよろしくない。等々、余計な考えが湧いてくる。ちびちびと梅酒を飲んでいるうちに料理が来た。食べ終わる頃にはなんとなくホワっとしてきて酔いが程々に回ってきたようだ。やはり、このくらいが丁度いい。1杯にしておいてよかった。

ということでぐだぐだした迷いも収まったのだった。いろいろな状況で似たようなことはあるのだろう。人との関係でも、自分が言ったこと、メールしたことで、後であれはどうかなと思ってしまうことがある。日常生活ではどんどん判断しやっていかなければならないことが多い。たとえ熟考したとしても、それがベストかどうかはわからない。迷いだせばキリがないのだ。

大事なのは反省と許容ということなのではないか。自分の行為をすべて正しいと思って、何も反省しなければ傲慢であり進歩はない。かと言って、あまりに自分の至らなさを責め続けるというのも行き過ぎであろう。振り返った上でそれはそれでよしとして、前へ進む。まあそんなやり方がいいのではないのだろうか。というのが今日の自由連想である。タイトルは、反省と許容としよう。
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ゴールデンウィーク

今日からゴールデンウィークが始まった。外では梅雨のような雨が降っている。明日は天気は回復するらしい。昨夜は、皿を割ってしまった。カップの受け皿で、ずいぶん古いものなのだが、食器棚にしまおうとして、手から滑り落ちてしまったのである。あっと思った時には、手を伸ばして阻止する暇もなく、床面にぶつかり割れる受け皿を見届けるしかなかった。

割れてしまうという現象は残念だが、それはそれとして事実を受けれいれるだけしかないのだと感じた。考えてみれば、カップは1個しか残っていないが、受け皿はまだ3枚あるのである。たぶん、当初はカップと受け皿は4つづつあったのだろう。カップは割れるか欠けるかで3個が廃棄されて、受け皿は4枚とも無傷だったのだろう。つまり受け皿は1枚あればこと足りるところが、余剰の受け皿は処分されずに残っていたのだ。食器棚を見て、やたらと受け皿が多いなとは思っていた。どうも数が合わないので、少し処分してもよいのでは、とは思っていた。ところが数を確認するのも面倒で、そのまま放置していた。そう考えれば、今回、落として割ってしまったことにより自動的に不要なものを処分できるのだから、メリットもあったと考えることはできる。数と、損得勘定の問題はその程度で、これ以上、考えたところで何も生まれそうにはない。

ふと、今、読んでいるラカンのセミネール10巻「不安」のことが頭に浮かんだ。一応、不安がテーマになっているが、不安を考える際に絡んでくる「対象a」のことを思った。対象a はラカンが提唱した概念だが、ラカン自身の説明や解説書を読んでも、字面だけではまあそういうものかという感覚にはなるのだが、どうも実感、体感として理解できるということが難しいのである。はっきりとしない捉えどころのないものでありながら、無いというわけではない、という特性があるので、説明自体も隔靴掻痒で、わかるようなわからないような、というものになってしまう。だが、この落ちて割れた受け皿のことを考えると、アナロジー的に対象a が実感されるような気がしてきた。あっと思って、皿が落ちる刹那。使用できるものとしての受け皿が破片になり屑になってしまう。そして、これがなくなったからといって困ることはない、つまり他にも受け皿はあるのだから。余剰なものとしての受け皿が落下し屑になったのである。こういう実感したものを仮の道しるべとして、対象a について書かれている部分を読んでみると、理解が進むのかもしれない。

いずれにしても、理論というのは字面だけで頭で理解しても、なかなか臨床には直結しない。それにしても、私が几帳面で、いらないものは捨てようという考えを実行に移していたとしたら、受け皿を落とすこともなかったわけだ。これは余剰な連想かもしれない。このあたりで、おしまいにしよう。

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いいこと

年度末となり慌ただしい日々が続いている。明日からは令和4年度となる。連日、ニュースはウクライナのことで大変な状況が伝えられているし、コロナもまん防が解除となったと思ったら、またもや増加傾向に転じた感がある。先日、研究会があったが、結局、オンラインのみとなった。そして続々と物の値段は上がる。このブログは月1回の記事が慣例のようになったが、そうすると決めているわけではない。なんとなくそうなったのだ。

とは言え、今日を逃すと4月になってしまうので、それも悔しい気がして今、書いている次第だ。あれもこれも大変だという話になってしまっている。現実がそういう状況なのに、そういう表現ばかりではこれまた悔しい。今は桜があちこちで咲いている。花見をするというわけではないが、通りすがりでもやはりきれいな花を見るのは嬉しい。ゆったり過ごす気持ちを持ちたいものだ。

世界のあちこちで命の危険にさらされている人が大勢いる。ある国際的団体にこころばかりの寄付をした。郵便局のATM を使おうとしたのだが、はじかれてしまってうまくいかない。別の機械でやり直したがやはりダメだ。窓口に行く時間的余裕もないので、別の機会に本局に立ち寄った。どうせだめだろう、直接窓口に行こうか。いや、待てよ。一応、トライはしてみるか。ATM でまずはやってみたところ、一発で操作が完了した。たぶんダメかなという弱気な気持ちをなんとかなだめ、やってみたらすんなりうまくいってしまった。

いいことがあった。
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今年の標語はこれ

寒い。霙(みぞれ)が降っている。東京では雪が降っているし、山間部では積もっているとニュースが報じている。冬季オリンピックは部分的にちらちらと見ているが、いろいろなドラマがある。メダルを取れる実力がある者が必ず取れるというわけではない。せっかく取っても、本人は金を熱望していたので、他のメダルでは今一つ満足感がない、等々。オリンピック選手に限らず、人生は思うようにはいかないことがしばしばである。逆に思いもかけずよいことが起きる場合もある。まさに人生いろいろだ。

コロナも昨年秋は落ち着いていたが、今は感染疑いの人があまりに多くて検査しようにもキットがなくてできないという状況があちこちで起こっている。

思うようにはいかない。そのために不安が生じたり、うつ状態となることは珍しいことではない。そこに泥沼のようにはまり込んでしまうことは避けたいものである。

父が亡くなっておよそ20年。読書とゴルフが趣味だったが、書斎にゴルフの本も多数あった。処分してしまって、今は何も残っていないと思う。アメリカのレッスンプロがゴルフの基本について書いた本があった。こころの安寧 (peace of mind) が大事だと書いてあった記憶がある。たぶんゴルフに限らず、いろいろなことに応用可能だと思って記憶に留まっているのではないかと思う。ゴルフは、単に技量が優れているだけでは、よい成績は望めないだろう。風雨に悩まされたり、ナイスショットと思っても、着地の具合で思わぬ方向に跳ねてバンカーに入ってしまうということもあるだろう。そういう思わぬ出来事にも動揺せず、次のショットに集中しなければならない。あるいは全体的に調子がよい日、悪い日というのもあるだろう。調子が悪いからといって、もうダメだと投げ出したのではどんどんスコアは悪くなるばかりだ。調子が悪いなりになんとか凌ぐという姿勢が必要であろう。

精神症状で、過呼吸というものがあるが、呼吸がしにくいので、頑張って空気を吸おうとする。結果的には浅く早い呼吸となり、生理学的にはどんどんバランスが崩れ、意識レベルが低下するなど事態は悪循環的に悪くなってしまう。過呼吸が起こった場合は慌てないこと、できる範囲でゆっくり深く呼吸をすることが大事だ。

慌てない。ゆっくり、じっくり。そう言えば、今年の標語のようなものを考えていなかった。これにしよう。
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謹賀新年2022

新年あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願い致します。

晴れて穏やかな日。きれいな写真を撮って掲載すればよいのだろうが、ふだん写真をほとんど撮ることはなく、このブログも文章のみで続けている。今年もその様式、ペースでやっていこうと思っている。訪問してくださる方、nice をくださる方がいることは有難い。もしもブログを見る人がゼロであれば、自分だけで日記でも書いていればよいのだから。コメント欄も開けていないので、この場を借りてお礼申し上げます。

皆さまにとってよい年となることを願っています。
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間もなく

あと数時間で今年も終わりで新年を迎える。今、テレビをつけていてNHKの紅白歌合戦をやっている。ここ数年ほとんど見ていなかったが、たまにはどんな様子かとちらちらと見ている。出だしのCGが立体的で当たり前だが昔より進歩したなとか、知らない出演者が多い、踊りの動きが激しく大人数でも統制が取れているとか、まあたまには世の中の変化を垣間見るということになるのかもしれない。

本年2021年もコロナには翻弄された。外出がしづらく、引き続き飛行機にも新幹線にも乗らず旅行に出かけることもなかった。とは言え、秋は感染者数が落ち着いたので、久しぶりにジャズライブで数曲歌った。束の間の平和の後は、最近はまた感染者数が増えてきていて、オミクロン株が心配な状況となってきている。一難去ってまた一難、山あり谷ありの時の流れである。自分の専門では、学会や研究会はリモートのみで、今年は一度もリアルな現地会場での参加はできなかった。まあ、昔のことを考えればリモート開催できるだけでも有難いと言えるだろう。

来年はどういう年になるのか?また、どうやって過ごしていくのか?
いろいろなことをやりたい。一言でと言うと、そういう文句が浮かんできた。ここ数日、学術的な本や論文を読んでいない。今から30分でもよいから読むかな。読みたいと思いながらそのままになっている面白そうな精神分析の論文があるのだ。明日にせろ文句は。いや、今日するのです。では。
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時間

時間とは規定されているもので、それ故、スポーツの記録も比較ができるわけである。だが、心理的な時間の感覚はかなりの揺れ幅がある。

11月はかなりいろいろなことがあり、てんやわんやだったが、あっという間に終わったという感覚もあれば、通常の2,3カ月分のボリュームがあったという感覚もある。不思議なもので、自宅のスリッパがボロボロになっていて新しいものを買おうと数カ月前から思っていたのだが、ここ数カ月で一番忙しい11月になんとか購入した。

それにしても、時間は貴重なものだ。もっといろいろなことができたはずだという後悔に近い念が生じることもあれば、いや、あまりに頑張りすぎるのもかえって潰れてしまうかもしれない、如何なものかという考えも生じる。まあ、こういうことを振り返ったところでそれこそ時間の無駄になりそうなので、ぼちぼちとやっていくしかない。明日から12月だ。

今、思い出したのだが、一つ、発見があった。たとえば、今日やるべきことがあれもこれもとたくさんあって、思考が止まってしまっているとしよう。あれやらこれやらが思い浮かんできて結局、体が動かない。なにからどうしたらよいのか頭が働かない。こういう時に、「今できることをやる」と自分で自分にアドバイスしてみる。するとまずはこれをやろうと、ひとつひとつ物事をやっていくという流れが出てくる。あるいは、忙しいとついうっかりものを忘れたりなどミスが生じることがある。その時も、ミスにこだわるのではなく、「今できることをやる」と一旦考えてみると、ミスの悪影響を最小限にすることができる。今できないことをやることは無理なわけで、「今できることをやる」というのは当たり前のことで、アドバイスとも言えないようなものかもしれない。ところが、意外に頭の片隅に置いておくとよいものである。ということに気づいた11月であった。
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ここにおいて出会うということ

何回も言っているように、このブログは何かを論じるというわけではなく、その時の思いつきを書いている。思いつきなら自分の中でやっていてもいいようなものだが、こうやってブログの記事として書いているのは何故なのであろうか。こういう問いを立ててみて、思い浮かぶことは二つある。一つは、自分の中でただ考えるのではなく、読者すなわち他者がいるという状況で書いてみるという行為、このことが自分にとって刺激になるということがある。もう一つは、読むひとにとって、私の思いつきの文章が一つの刺激になって、何かを考えてもらうきっかけになるのではないかという思いがある、ということである。

精神分析において、分析主体は分析家の現前する状況で自由連想を語っていく。自分の中だけでぐるぐる思考がめぐっているのとは、語るという行為の効果は違ってくる。もちろん、語り方そのものからして、自分の中だけでの思考、言葉とは変わってくるだろう。そういう意味では、精神分析する(精神分析家のもとに行き、自由連想をする)というところまでいかなくても、ちゃんと話を聞いてくれる人、たとえば友人、知人と自由にざっくばらんに話すということは、それなりにけっこう大きな効果をもたらしてくれるような気がする。

こうやって書いていると、どうして今日の話の流れがこうなってきたのかがわかってきた。コロナの前には時々行っていたあるジャズバーに、久しぶりに出かけた。懐かしさと共に、店のスタッフとの会話も楽しめたが、予想以上にお客さんが多く、嬉しそうに歓談している様子も見受けられた。演奏が始まってからもしばらく話し声が続いていたりもして、以前の私であればイライラしたかもしれないが、今回ばかりは、「皆さん、やはり人とリアルに会ったり話したりすることにある意味飢えていたのだろうな」と感じて、微笑ましく思う気持ちが生じた。

コロナ感染状況が今は落ち着いているとは言え、冬になれば空気は乾燥し、換気も秋よりは悪くなる可能性がある。感染再拡大には十分用心しなければいけないのは言うまでもないが、リモートやメールなどでの交流ではなく、実際に人と会うことの貴重さや意義深さはあらためて感じるものがある。
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これから

今、これから今回の記事を書こうとしている。何を書こうか。まず、思いついたのが、これから、ということだ。今回の新型コロナ感染症の波は今までにない大きなものだった。ようやく落ち着いてきて、緊急事態宣言は明日で終了となる。考えてみれば、明日で9月も終わり、今年もあと3カ月となってしまった。今年度ということで考えれば、間もなく下半期に入ることになる。

旅行にコロナ禍となってから行っていないが、いい加減そろそろ行きたい気分だ。今まで感染者は増えたり減ったりの繰り返しだったし、気を許せば元の木阿弥だろうから注意はしないといけないが、感染の波も経済の回り具合も、これからは今までとは違うよい方向に向かってほしい。

今日は自民党の総裁選があり、岸田文雄氏が総裁に選出された。これからどういう舵取りをされるのかはわからないが、とりあえず、ひとの話を聞いてくれる態度はほっと一息つけるような感覚がある。

他人事ではなく、自分の事として考えることは生きていくことの基本であろう。コロナもたぶん自分は罹らないだろうとか、重症化しないだろうと、安易に考えてよいはずがない。政治も、自分の1票くらいは、大勢に影響ないなどと冷めているのはいかがなものだろう。環境やエネルギーの問題も他人事ではない。明日の自分の生活に直結するのである。

精神分析のこれからは?私にとっては重要なテーマだが、ラカンの晩年の考えには興味がある。もちろん、ラカンを単に追及するのは私の本意ではない。仏教、禅、森田療法、この辺りと精神分析との絡みを思索していきたいと思っている。




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