SSブログ

「草間彌生 わが永遠の魂」を鑑賞

国立新美術館で開催されている「草間彌生 わが永遠の魂」を鑑賞した。草間彌生の作品を初めて見たのは、以前パリに滞在している時にポンピドゥセンターでの展覧会であった。その際に見た作品もいくつか展示されていて懐かしい記憶が甦った。今回の国立新美術館では、絵画やオブジェ、鏡と光を使った芸術空間などが展示されている。多くの人が鑑賞していてざっと見ただけだったので、もう一度行く機会を見つけたいと思っている。なお、会期は2017年5月22日までとなっている。

パリで草間さんの作品を見て関心が出てきたので、数年前にNHK の衛星放送で草間さんについての番組をやるということで、家では衛星放送が見られないため、わざわざホテルに泊まってその番組を見たことがある。草間さんは、若い頃から幻覚に悩まされそれらの症状に対抗する意味もあって芸術活動に取り組んでいたらしい。ニューヨークに行って活動したりもしたが、現在(テレビ番組の当時)では精神科病院に住みながら病院の外にあるアトリエに通って作品を創っているということだった。番組ではユーミンとの対話もあったりしてなかなか興味深かった。

今回の展覧会では、作品の展示とともに日本語と英語での解説文が掲示されていたが、その中で気になったことがある。英文では精神科病院 (psychiatric hospital) という記載があるのだが、日本語では「精神科」が省かれ単に入院と書かれている。草間さんの精神疾患はテレビでも放映されていたように隠されていることではなく公になっていることである。それにも拘わらず、精神科の部分が省かれている。掲示にあたって、精神症状や疾患のことに触れるのは大芸術家に対して失礼だという一種の偏見があったのではないか、と気になるのである。精神症状や精神疾患は特別なものではない。日常生活ができる場合は軽度な症状があっても医療機関にかからずにそのままにしている人も多いだろう。また、入院経験があることイコール重篤である、というわけではない。草間さんの精神科病院入院について記載してなんの不都合があるのだろうか。ましてや、英語では明記しておきながら日本語では省く、というところはなんとも素晴らしい日本的配慮と言えなくはない。

世間での報道では、なにか事件を起こした際に精神疾患であるとか入院経験があるということが、ある意味、大袈裟に報道される。それは世間の精神疾患に対する印象を悪い方に導くことになることは否定はできない。そういう風潮とバランスを取る上で、精神症状があるという経験を通して逆に人生を考えることになったり、よりよく生きることにつながる、ということもあり得るということを世の人々に知ってもらうことも大事なことではないかと思う。草間さんは特別な例というわけではない。アイルランドの小説家ジェームズ・ジョイスが書くという作業を続けることによって精神病の発症を防いでいたという話はラカン派精神分析を知る人の間ではよく知られている。理論的にはその人が崩れてしまうのを防ぐ安定化させるものをサントームと呼ぶのだが、草間さんにとっての芸術活動はやはりサントームなのである。何がサントームになるかは人によって違う。自分にとってのサントームを見つけることがよりよく生きることにつながるのである。
nice!(13) 
共通テーマ:日記・雑感

しゃかりき

しゃかりき、という言葉があり私もたまに何気なく使う。夢中になって取り組むことを意味すると思われるが、どこからこの言葉が来たのだろう?取りあえず調べてみた範囲では、お釈迦さまの力、が語源だと述べている資料があった。

だとすれば、いい意味なのだろうが、私の個人的語感では、一生懸命になりすぎて時には勢い余って勇み足加減になりそうな意味合いを感じてしまう。言葉というのはやっかいなもので、時代や場所によって意味にずれが生じるし、個人的な語感もまた個人差があり,その言葉を発した人の意味しようとしたものと受取人の取り方の間になんらかのズレは生じる。

こういうことを前提にすると、何も言えなくなるので、ここでは私の個人的語感に基づいて、「しゃかりき」から連想を続けてみよう。数年前に近所のコンビニが閉店となった。一番近いコンビニだったので、何か急に買いたいものがある時は便利だった。また、今では自宅のプリンターで一応コピーは取れるのだが、当時はコピーをちょいとしたいという時も便利な存在だった。昼間しか行かなかったが、そこそこのお客さんは見かけた。近くにはコンビニ、すなわち競争相手はいないし、閉店になることは考えてもいなかった。私の知る限りでは、たとえば今年一杯で閉店になります等の張り紙もなかった。ところが、ある時、店に出かけると閉まっていてどうしたのだろうとビックリした。コンビニが休みというのは通常はあり得ない。どうも閉店になったみたいだ。その後、2,3回、見に行ったがやはり閉まったままで開く気配はない。

頻繁に行っていたわけではないが、頼りにしていたコンビニが突然閉店になったのだ。別の方角にスーパーはあるが、品揃えが違うのでやはりコンビニがないというのは困るのである。いくら嘆いたところでその店が復活することはないので、どうして店を閉じることになったのか想像を巡らせてみた。

店主の事情によるもの、たとえば高齢化や病気でできなくなったとか、商売替えをしたとか?赤字により商売が立ち行かなくなったのか?統括本部となんらかのトラブルがあるなどして閉めざるを得なくなったのか?その他、いろいろ。

なんの情報もないので、本当のところはわからない。ただ、思いついたこととして、立地から考えて昼間はともかく夜中も店を開けるのは大変そうなことはすぐ想像がつく。夜間ほとんど客が来ないのに、店を開けていれば人件費や電気代はかかり、経営を圧迫しそうだ。夜間に働く人を確保するのも大変だろう。もしも、夜の営業を止めたら経営者としての負担はかなり軽くなりそうだ。

さて、そう考えると、もしそうなら夜の営業をやめればすむじゃないか、ということになる。だが、コンビニを見渡すと、24時間営業、年中無休が当たり前で、正月や盆は休みだとか、23時から6時までは休みだという店舗は見たことがない。確かにいつ行ってもやってくれるのは有り難いことではある。だが、全国通津浦々同じやり方を押し通す必要があるのだろうか、と疑問になる。

コンビニさん、そんなにしゃかりきにならなくてもいいんじゃないの?しゃかりきになって結局、店が立ち行かなくなるより、たとえば8時から21時くらいまでの営業であっても私の近所のコンビニには存在してほしかった。

コンビニは一例であって、連想を拡げれば類似のことはいろいろあるだろう。一生懸命やること、頑張るということはもちろんそれはそれで価値のあることなのだろうが、ものには限度がある。100やらずに、70にペースを抑えれば続くところを、100にこだわるあまり 0になってしまうというのは、あまりに悲しい。
nice!(9) 
共通テーマ:健康