SSブログ

7月のディスクールのワークショップ終了

日曜日はラカン精神分析のワークショップがあった。4(+1)つのディスクール:その読解と応用、というテーマタイトルだった。初めに、若森栄樹氏のイントロダクションがあり、その後、ニコラ・タジャン氏と荒谷大輔氏による提題および討論が行われた。

タジャン氏は日本在住のフランス人だが、発表は日本語で、討論は仏語で行われた。発表内容もいろいろと勉強になり連想を刺激してくれたが、日本在住がすごく長いというわけではないのに、漢字交じりの原稿を流暢に読まれるのに感嘆した。討論の中で、ディスクール(言説)に関して、フーコーとラカンはお互い影響を受け合っているのは確かだが、どちらの方が大元なのだろうか、という点においての論争があった。私の感想としては、もちろん文献や歴史的な前後関係を辿りそのことを推測するのにはそれなりの意味があるとは思うのだが、今となっては本人に聞けない以上、確かなことはわからない、ということだ。だが、討論をする際には、自分なりの調査や推論により一方の論を立てるほうがしやすいし、また論文化するにはある意味、必要なことだろう。私のようにお互いに影響し合い、どちらとも言い難いですよ、というのではそこで思考は止まってしまい討論は続きにくい。

荒谷氏の発表は、資本家のディスクールを論じることに力点が置かれていたように思う。資本家のディスクールは、資本主義のディスクールと言ってもよいのかもしれないが、4つのディスクールほどは有名でない。私も名前くらいであまり真剣に考えたことがなかったので、大変刺激になった。私が思ったのは、資本家と労働者は対立する者として考えるとものごとを見通せなくなるのではないか、ということである。封建社会での、主と奴は戦国時代でもない限り固定化されている。現代においては、労働者がある段階から資本家に成り代わるということもあり得るわけである。あるいは、オーナー社長のような大資本家が転落して貧民になってしまう可能性もまたある。このような状況では、主と奴の闘争と同時に、主と奴の共謀も起こってくると言えるのではないか。
nice!(15) 
共通テーマ:学問

プロゴルファー

しばらく前に高校の同窓会でゴルフコンペをやるという案内メールが届いた。私は、昔々ほんの短期間、かじりかけたことはあったが、その後まったくやっていない。ゴルフの話が出ても私には他人事で自分の領域のことではないという感じがする。最近、別の機会に今度はプロゴルファーの青木功さんのことが話題になった。

青木さんと聞いて、記憶が甦った。もう何十年も前のことだが、プロゴルフのトーナメントを見たことがある。トーナメントを見たのは後にも先にもそれだけなのだが、なんと言っても印象深かったのは青木さんだった。独特のフォームで、低い鋭い球筋。そして、素人には神業と言ってもよいくらいの職人技のアプローチショット。パットの打ち方もこれまた独特である。フォームばかりではない。鬼気迫るような集中力と気迫。

誰が優勝するとか、スコアがどうだとか、そんなことはどうでもいいという気になる。実際、今も記憶に残るのは青木さんの姿ばかりである。青木さんのような打ち方をするゴルファーは他にいない。自分にとって最もよい打ち方を研究し、練習を重ね、トーナメントで好成績を上げ、ついには、「世界のアオキ」と称されるようになった。もちろん、ゴルフは自分の技だけではない。刻々と変わる天候、自然ともやりあっていかなければならない。たぶん、真のゴルファーにとっては、ゴルフをすることは単なるプレーではなく、生きるということそのものと言い換えてもいいのであろう。

青木さんに限ったことではないが、その道の達人はその領域を越えた普遍的なものを感じさせる。たまにそういうひとに出会うと、感嘆の気持ちと同時に嘆息も出そうになる。

nice!(10) 
共通テーマ:日記・雑感

精神病理これだけは

7月となった。今年も早や後半である。このところ自分の専門分野の本や雑誌が読めていない。勉強会や研究会は定期的にやってくるのである意味ありがたい。自分でやる勉強は自ら叱咤激励しないといけないのだろう。

先日、本屋に行って、タメになりそうな学術雑誌を見つけ、購入した。精神科治療学という学術雑誌の新刊(星和書店)で、Vo,31 No.6 Jun.2016 特集「これだけは知っておきたい精神病理」である。近年の精神病理学の消褪は深刻なものがある。統計が重視されいわゆるエビデンスが偏重され、DSM のような単純化された診断基準が緻密な観察を覆い隠そうとしている。そのような風潮の中で、精神病理学を学ぶ、見直すということの重要性は力説しておきたいものである。

このブログで、時々、本や雑誌を紹介しているが、ほとんどはおもしろそうな本を購入しました、という話であることは、以前からのブログ読者はご承知であろう。今回も同じく、まだ入手したばかりである。一部くらいは読んでブログの記事にすることはあるが、今回はまだ本文を読んでいない。なにせ専門誌なので、店頭にあるうちに紹介したほうがよいだろうということで今、慌てて書いている。

目次を見ると、シュナイダー、クレぺリン、コンラート、ブランケンブルク、ラカンなどが取り上げられている。日本人も取り上げられていて、たとえば中井久夫の名前も見える。

古茶大樹氏による前書きだけは読んだので、一部を引用しておく。

精神病理学の成果は、観察者の視点と深く関係がある。そこには様々な視点・パースペクティブが含まれている。われわれはつい成果としての理論に関心が向いてしまうのだが、本当に重要なことは理論そのものではなく、提唱者の視点であると思う。その視点に立つことで自ずと見えてくる景色がある。それを知ることで、目の前の一人の患者のいろいろな側面が見えてきて、理解を深めることができる。人の心に関する理論には、どうにもエビデンスという形で実証できないものはいくらでもあることを強調しておきたい。統計学的に証明できないからと言って、それらに目を向けないこと・無視することは、心の医学である精神医学にとって不幸なことではないかと思う。(同誌3頁)

nice!(14) 
共通テーマ:健康