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単純と複雑

今日は、内容よりも先に、「単純と複雑」というタイトルがまず思いついた。どちらも大事な概念だし、どちらかがよいことでもう一方が悪いことだ、というわけではない。

取っ掛かりがないと大風呂敷を広げる話になってしまうので、思考というものを例に考えてみることにしよう。見聞きしたことを鵜呑みにしたり、単に暗記するのではなく、自分の頭で考えるという行為は大事なことだろう。いや、大事どころではない。自分の頭で考えてこそ、私が生きていると言える。まずは考えるということが第一歩だが、身体の動きにしても思考にしても、その人の癖というものがある。癖からはずれたことは、異質なもの、異様なもの、変なもの、普通ではないもの、として認識されがちである。

癖という罠にはまっていると、自分なりにいろいろ考えているようでいて、思考が単純化されているということになる。こういう状態から脱するためには、なんだか居心地が悪いなとか、しっくりこないな、どうも気持ち悪いな、というような思考の状態を一時的にでも経験することが必要となるのであろう。これは、体の動きでも同様である。たとえば、テニスやゴルフのフォームに欠陥がある時、合理的なフォームに直そうとすれば、居心地の悪さを感じるであろう。

癖とは逆に、こういう可能性もある、ああいう可能性もあると、あまりにいろいろなことを考えすぎると、自分自身が思考を追うことができなくなり、混乱状態に陥る。これは、状況が複雑の方に振れすぎているということであろう。このような場合は、ものごとの本質というところに焦点を当て、思考を単純(シンプル)にしてみるという試みが必要になるのだろう。

単純と複雑は片方に傾きすぎると塩梅が悪い。単純すぎる場合は複雑を、複雑すぎる場合は単純を、ヒントにして方向を見据えてみるのがよさそうだ。
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