こころの分析室
https://kokoro-analysis.blog.ss-blog.jp/
神奈川で精神分析のオフィスを開業しています。わたくし(自己)を習う旅日記をおもいつくままに綴ります。
kokoroan
2024-03-21T21:24:50+09:00
ja
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何はともあれ体調
https://kokoro-analysis.blog.ss-blog.jp/2024-03-21
ここ数日、体調が悪かった。今日はだいぶ回復してきて、今、ブログを書いている。体に気をつけていても病気になってしまうことはあるだろうが、反省してみるといろいろと無理がたたったようだ。睡眠不足、食べ過ぎ、運動不足、過労。体がこれではいけないと悲鳴を上げたのだろう。今冬は一度も風邪をひかず、特に体調不良になることはなかっただけに、つい無理をした気がする。そう言えば、しばらく前にある人に会った際、いきなり顔色が悪いと心配されたことを思い出す。その時、既に兆候は出ていたということだ。何はともあれ、よい体調が大事だ。健康な人は健康を維持し、持病と付き合わなければならない人はできる範囲で体調を整えるということだ。当たり前のことなのだが、うっかりすると忘れてしまう。やりたいことはたくさんあるし、人からの誘いもいろいろある。体調を崩し寝込んでしまえば、そういうことをするどころの話ではなくなる。ここしばらく記事を書いていなかったので、書く材料はあるのだが、まずはこのことを書かなくてはいけない。一時的に苦しかったが学びになった。
未分類
kokoroan
2024-03-21T21:24:50+09:00
今冬は一度も風邪をひかず、特に体調不良になることはなかっただけに、つい無理をした気がする。そう言えば、しばらく前にある人に会った際、いきなり顔色が悪いと心配されたことを思い出す。その時、既に兆候は出ていたということだ。
何はともあれ、よい体調が大事だ。健康な人は健康を維持し、持病と付き合わなければならない人はできる範囲で体調を整えるということだ。当たり前のことなのだが、うっかりすると忘れてしまう。やりたいことはたくさんあるし、人からの誘いもいろいろある。体調を崩し寝込んでしまえば、そういうことをするどころの話ではなくなる。ここしばらく記事を書いていなかったので、書く材料はあるのだが、まずはこのことを書かなくてはいけない。
一時的に苦しかったが学びになった。
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2024年
https://kokoro-analysis.blog.ss-blog.jp/2024-01-24
正月早々、地震やら事故のニュースで深刻な気持ちでのスタートになってしまったと思ったら、もうそろそろ1月も終盤となってきた。今年の標語のようなものは、「楽しく」にしようと思う。楽しく食事をする、楽しく散歩をする、楽しく歌う、楽しく皿を洗う、楽しく寝る。その他、日常のいろいろなことを楽しく過ごしていくことにしたい。生きていれば嫌なことやうまくいかないことに出くわすことは当然あると思うが、そういう時は無理して楽しくとはいかないまでも、なんとかその状況を凌げば楽しくなると思っていたい。
未分類
kokoroan
2024-01-24T22:39:30+09:00
今年の標語のようなものは、「楽しく」にしようと思う。楽しく食事をする、楽しく散歩をする、楽しく歌う、楽しく皿を洗う、楽しく寝る。その他、日常のいろいろなことを楽しく過ごしていくことにしたい。生きていれば嫌なことやうまくいかないことに出くわすことは当然あると思うが、そういう時は無理して楽しくとはいかないまでも、なんとかその状況を凌げば楽しくなると思っていたい。
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いよいよ
https://kokoro-analysis.blog.ss-blog.jp/2023-12-31
いよいよ今年も残すところあと数時間となった。今年はどういう年だったのかと振り返ると、長年勤めた精神科病院を3月末に退職したことが大きな変化だった。引退と決心しての退職ではなかったが、9カ月経った現時点では、次の勤め先を探そうという気持ちも湧いてこない。寧ろ、精神分析と心理カウンセリング、そして人生相談あたりの範囲の仕事に特化して、ジャズシンガーについてもそれで稼ぐわけではないにしてもシンガーを自称できるくらいにはなりたい。これからこんな感じで生きていくかというのと並んで大事なのは、いわゆる終活的なことだ。いらない物が相当たまっているので、これらを処分して身軽になりたいものだ。有り難いことに大きな病気はせず健康を保っているが、運動量が少ないのは明らかだ。スポーツをやるというのも絵に描いた餅になりそうなので、取り敢えずは歩く距離を延ばしたい。なんだか段々と精神分析や精神科の話が少なくなってきてしまっているこのブログですが、皆さま、訪問をして頂きましてありがとうございます。よいお年をお迎えください。
未分類
kokoroan
2023-12-31T22:34:39+09:00
これからこんな感じで生きていくかというのと並んで大事なのは、いわゆる終活的なことだ。いらない物が相当たまっているので、これらを処分して身軽になりたいものだ。有り難いことに大きな病気はせず健康を保っているが、運動量が少ないのは明らかだ。スポーツをやるというのも絵に描いた餅になりそうなので、取り敢えずは歩く距離を延ばしたい。
なんだか段々と精神分析や精神科の話が少なくなってきてしまっているこのブログですが、皆さま、訪問をして頂きましてありがとうございます。
よいお年をお迎えください。
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単純と複雑
https://kokoro-analysis.blog.ss-blog.jp/2023-11-12
今日は、内容よりも先に、「単純と複雑」というタイトルがまず思いついた。どちらも大事な概念だし、どちらかがよいことでもう一方が悪いことだ、というわけではない。取っ掛かりがないと大風呂敷を広げる話になってしまうので、思考というものを例に考えてみることにしよう。見聞きしたことを鵜呑みにしたり、単に暗記するのではなく、自分の頭で考えるという行為は大事なことだろう。いや、大事どころではない。自分の頭で考えてこそ、私が生きていると言える。まずは考えるということが第一歩だが、身体の動きにしても思考にしても、その人の癖というものがある。癖からはずれたことは、異質なもの、異様なもの、変なもの、普通ではないもの、として認識されがちである。癖という罠にはまっていると、自分なりにいろいろ考えているようでいて、思考が単純化されているということになる。こういう状態から脱するためには、なんだか居心地が悪いなとか、しっくりこないな、どうも気持ち悪いな、というような思考の状態を一時的にでも経験することが必要となるのであろう。これは、体の動きでも同様である。たとえば、テニスやゴルフのフォームに欠陥がある時、合理的なフォームに直そうとすれば、居心地の悪さを感じるであろう。癖とは逆に、こういう可能性もある、ああいう可能性もあると、あまりにいろいろなことを考えすぎると、自分自身が思考を追うことができなくなり、混乱状態に陥る。これは、状況が複雑の方に振れすぎているということであろう。このような場合は、ものごとの本質というところに焦点を当て、思考を単純(シンプル)にしてみるという試みが必要になるのだろう。単純と複雑は片方に傾きすぎると塩梅が悪い。単純すぎる場合は複雑を、複雑すぎる場合は単純を、ヒントにして方向を見据えてみるのがよさそうだ。
未分類
kokoroan
2023-11-12T23:00:34+09:00
取っ掛かりがないと大風呂敷を広げる話になってしまうので、思考というものを例に考えてみることにしよう。見聞きしたことを鵜呑みにしたり、単に暗記するのではなく、自分の頭で考えるという行為は大事なことだろう。いや、大事どころではない。自分の頭で考えてこそ、私が生きていると言える。まずは考えるということが第一歩だが、身体の動きにしても思考にしても、その人の癖というものがある。癖からはずれたことは、異質なもの、異様なもの、変なもの、普通ではないもの、として認識されがちである。
癖という罠にはまっていると、自分なりにいろいろ考えているようでいて、思考が単純化されているということになる。こういう状態から脱するためには、なんだか居心地が悪いなとか、しっくりこないな、どうも気持ち悪いな、というような思考の状態を一時的にでも経験することが必要となるのであろう。これは、体の動きでも同様である。たとえば、テニスやゴルフのフォームに欠陥がある時、合理的なフォームに直そうとすれば、居心地の悪さを感じるであろう。
癖とは逆に、こういう可能性もある、ああいう可能性もあると、あまりにいろいろなことを考えすぎると、自分自身が思考を追うことができなくなり、混乱状態に陥る。これは、状況が複雑の方に振れすぎているということであろう。このような場合は、ものごとの本質というところに焦点を当て、思考を単純(シンプル)にしてみるという試みが必要になるのだろう。
単純と複雑は片方に傾きすぎると塩梅が悪い。単純すぎる場合は複雑を、複雑すぎる場合は単純を、ヒントにして方向を見据えてみるのがよさそうだ。
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映画「君たちはどう生きるか」
https://kokoro-analysis.blog.ss-blog.jp/2023-09-13
宮﨑駿監督の映画「君たちはどう生きるか」を見た。見た人の評は賛否両論らしいのだが、私はいろいろ考えるところがあったし、常人には作れない作品だ、さすが宮﨑監督だと感心したりで、好印象を持った。エンターテインメントやファンタジーとして見ようとすると、たぶん、わからないとか、楽しめない、という感想になるのかもしれない。自分がどう生きるのか、それを考えるヒントにしようと思うと、いろいろな連想が湧いてくる。世の中には、いろいろな小説、戯曲、映画があるが、この作品は過去の作品群の中のどういうパターンに入るのかというような考えだと、本質に迫れないような気がする。自分が生まれてから今に至るという通常認識する人生というレベルではなく、宇宙の中の地球、そしてその地球のある場所にある時に存在している自分、という無限遠からすべてを見渡すという視点を持って、この作品を捉えてみると、よくぞこんなにも嚙み砕いてわかりやすく表現してくれました、と感謝の念が湧いてくる。今朝、ミルクティーをいつものように淹れた。カップにつぐ時、やや多すぎたかと思ったが、カップの縁で止まり、ぎりぎりで1滴も捨てることなく、カップに収まった。自分の器の中で1滴のムダもなく生ききる。そして、同時に器を少しでも大きくしていきたい。
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kokoroan
2023-09-13T12:15:04+09:00
エンターテインメントやファンタジーとして見ようとすると、たぶん、わからないとか、楽しめない、という感想になるのかもしれない。自分がどう生きるのか、それを考えるヒントにしようと思うと、いろいろな連想が湧いてくる。
世の中には、いろいろな小説、戯曲、映画があるが、この作品は過去の作品群の中のどういうパターンに入るのかというような考えだと、本質に迫れないような気がする。自分が生まれてから今に至るという通常認識する人生というレベルではなく、宇宙の中の地球、そしてその地球のある場所にある時に存在している自分、という無限遠からすべてを見渡すという視点を持って、この作品を捉えてみると、よくぞこんなにも嚙み砕いてわかりやすく表現してくれました、と感謝の念が湧いてくる。
今朝、ミルクティーをいつものように淹れた。カップにつぐ時、やや多すぎたかと思ったが、カップの縁で止まり、ぎりぎりで1滴も捨てることなく、カップに収まった。
自分の器の中で1滴のムダもなく生ききる。そして、同時に器を少しでも大きくしていきたい。
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急がば回れ
https://kokoro-analysis.blog.ss-blog.jp/2023-08-05
今日は「急がば回れ」という諺が浮かんできた。最近、ほとんど耳にすることはない。逆に諺ではないが、「スピード感を持って」という言葉はよく聞く。確かに、急ぐ時に、安全で余裕があるとは言え、遠い道を選ぶというのは、ものごとがどんどん進んでいく今の時代には、時代遅れと思われてしまうのかもしれない。流行していることが正しいのだろうか?やはり物事の本質を見るという姿勢の方が優先するのではないだろうか。このところ、保険証とマイナンバーカードの一本化が話題になっている。登録ミスやプログラムやセキュリティの問題がどんどんと出てきて、大事になってしまったのも、マイナンバーカードの普及を急ぎすぎたことに起因する。結局は、早く進めるどころか、遅くしてしまった、いや今後については暗雲が立ち込め行き詰ってしまった、と言っても過言ではないような状況だ。スピード感を持って、という表現に注目してみよう。「感」という言葉。これは、感覚ということであろう。本当に早くやるのであれば、「迅速に」という表現でよいはずだ。「スピード感」という言葉には、スピードが出ているような感じに見える、という潜在的な意識が垣間見える。スピードが出ていることと、スピードが出ているような感じ、は別物である。たとえば、普通にやっていれば30年かかることを、20年でやり遂げれば、かなり短縮できたことになる。ところが、20年というところだけを見ると、なんとなく長い年月という印象をつい持ってしまって、あたかも遅い作業だと錯覚してしまうということは有り得る。まずは、一歩一歩地道にやってみる。せめて10年、20年くらいのスパンで物事を考えたり、やってみる。こういうことが大事な分野は世の中にたくさんあるだろう。ノーベル賞受賞の研究だって、宮大工や寿司職人の仕事も、2年や3年で完成するものではない。
未分類
kokoroan
2023-08-06T00:12:00+09:00
流行していることが正しいのだろうか?やはり物事の本質を見るという姿勢の方が優先するのではないだろうか。このところ、保険証とマイナンバーカードの一本化が話題になっている。登録ミスやプログラムやセキュリティの問題がどんどんと出てきて、大事になってしまったのも、マイナンバーカードの普及を急ぎすぎたことに起因する。結局は、早く進めるどころか、遅くしてしまった、いや今後については暗雲が立ち込め行き詰ってしまった、と言っても過言ではないような状況だ。
スピード感を持って、という表現に注目してみよう。「感」という言葉。これは、感覚ということであろう。本当に早くやるのであれば、「迅速に」という表現でよいはずだ。「スピード感」という言葉には、スピードが出ているような感じに見える、という潜在的な意識が垣間見える。スピードが出ていることと、スピードが出ているような感じ、は別物である。たとえば、普通にやっていれば30年かかることを、20年でやり遂げれば、かなり短縮できたことになる。ところが、20年というところだけを見ると、なんとなく長い年月という印象をつい持ってしまって、あたかも遅い作業だと錯覚してしまうということは有り得る。
まずは、一歩一歩地道にやってみる。せめて10年、20年くらいのスパンで物事を考えたり、やってみる。こういうことが大事な分野は世の中にたくさんあるだろう。ノーベル賞受賞の研究だって、宮大工や寿司職人の仕事も、2年や3年で完成するものではない。
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おっちょこ
https://kokoro-analysis.blog.ss-blog.jp/2023-06-08
しばらく前のことなのだが、ある日、外出の際に財布を家に忘れた。スイカ(交通系カード)は持っていたので、スイカの使える店を選ぶなどして、なんとか急場は凌ぐことができた。1回、家に戻り、再度外出した。財布、財布、財布と何度も確認した。電車に乗ろうとしたところ、なんと今度はスイカがない。仕方なく、財布から現金を取り出し、切符を買った。だいたい私は子どもの頃から忘れ物が多い。小学校低学年の時、あまりに忘れ物が多いので先生はあきれたようだ。手の甲に「わ」という文字をマジックで書かれてしまった。マジックなので消えるまでにだいぶかかった。先生としては、「わ」を見て、忘れ物がないか常にチェックしろと指導したつもりだったのであろう。こういう指導は今の時代では完全にアウトだろう。とんでもない教師だということになるに違いない。私の記憶を辿ると、手の甲の消えない「わ」を見て、情けない気持ちになったのを今でも覚えている。重症とまではいかないが、トラウマと言えよう。せっかくそれだけの代償を払ったのだから、せめて忘れ物が減ってくれればよいのだが、実際はそうは問屋が卸さない。あらためて外科医にならなくてよかったと思う。手術器具やガーゼを手術時に体内に置き忘れるなどという失態のニュースを以前、見たことがある。その先の連想は怖くてすることができない。ところがどっこい、自分の発達障害的傾向は、実地の精神科臨床では大いに役立った。本を読んだり講義を受けたりするより、忘れ物いっぱいの経験としての実感や、他者に理解されず理不尽に怒られた経験。治療者と患者の垣根はない。同じ土俵にいるのである。一応、白衣を着て見かけだけは偉そうにしていたり、先生などと呼ばれても、なんでこうなるんだと地団太を踏むおっちょこちょいな人間だ。そうか、私はおっちょこちょ医だったのだ。今頃わかるなんて遅いか。いや、人生、何事も遅いということはない。後記になるが、おっちょこちょ医という造語はなかなかユニークではないか。一応調べてみようと、ネット検索したら、なだいなだの著書にそういうものがあった。私は10代から20代初めくらいまで、なだいなだの本を読んでいた。もしかしたら、読んだか目にしたのかもしれない。ということで連想の流れで出てきたとは言え、オリジナルとは言えない。おっちょこちょい二乗とは言えよう。
未分類
kokoroan
2023-06-08T23:22:31+09:00
だいたい私は子どもの頃から忘れ物が多い。小学校低学年の時、あまりに忘れ物が多いので先生はあきれたようだ。手の甲に「わ」という文字をマジックで書かれてしまった。マジックなので消えるまでにだいぶかかった。先生としては、「わ」を見て、忘れ物がないか常にチェックしろと指導したつもりだったのであろう。こういう指導は今の時代では完全にアウトだろう。とんでもない教師だということになるに違いない。私の記憶を辿ると、手の甲の消えない「わ」を見て、情けない気持ちになったのを今でも覚えている。重症とまではいかないが、トラウマと言えよう。せっかくそれだけの代償を払ったのだから、せめて忘れ物が減ってくれればよいのだが、実際はそうは問屋が卸さない。
あらためて外科医にならなくてよかったと思う。手術器具やガーゼを手術時に体内に置き忘れるなどという失態のニュースを以前、見たことがある。その先の連想は怖くてすることができない。ところがどっこい、自分の発達障害的傾向は、実地の精神科臨床では大いに役立った。本を読んだり講義を受けたりするより、忘れ物いっぱいの経験としての実感や、他者に理解されず理不尽に怒られた経験。治療者と患者の垣根はない。同じ土俵にいるのである。一応、白衣を着て見かけだけは偉そうにしていたり、先生などと呼ばれても、なんでこうなるんだと地団太を踏むおっちょこちょいな人間だ。そうか、私はおっちょこちょ医だったのだ。今頃わかるなんて遅いか。いや、人生、何事も遅いということはない。
後記になるが、おっちょこちょ医という造語はなかなかユニークではないか。一応調べてみようと、ネット検索したら、なだいなだの著書にそういうものがあった。私は10代から20代初めくらいまで、なだいなだの本を読んでいた。もしかしたら、読んだか目にしたのかもしれない。ということで連想の流れで出てきたとは言え、オリジナルとは言えない。おっちょこちょい二乗とは言えよう。
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ここという時には
https://kokoro-analysis.blog.ss-blog.jp/2023-05-12
ゴールデンウィークも終了。そろそろ5月半ばとなってきた。早いものである。一つ一つということは念頭に置いているので、それなりにものごとは進んでいるのだが、やるべきことややりたいことが多く、思うようには進まない。それでも、一つ一つとやっていけば、フリーズしてすべてが止まることはない。それなりに「一つ一つ」は効果があるとは言えるのだが、気がついたことがある。どうしてもやりやすいことを一つ一つやってしまい、面倒なことは後回しになってしまうのだ。今日は、腕時計の電池を交換した。2週間くらい前に腕時計が止まったのだが、そのままになっていて、今日はいい加減交換しに行かないといけないと決心して、ようやく電池交換ができて、時計が動き出した。「一つ一つ」は基本だが、時々、後回しになっていることを点検して今日こそはやるぞと気合を入れることも必要だ。一つ賢くなったような気がする。いや、気のせいではなく、賢くなってほしい。
未分類
kokoroan
2023-05-12T22:07:59+09:00
今日は、腕時計の電池を交換した。2週間くらい前に腕時計が止まったのだが、そのままになっていて、今日はいい加減交換しに行かないといけないと決心して、ようやく電池交換ができて、時計が動き出した。「一つ一つ」は基本だが、時々、後回しになっていることを点検して今日こそはやるぞと気合を入れることも必要だ。一つ賢くなったような気がする。いや、気のせいではなく、賢くなってほしい。
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春
https://kokoro-analysis.blog.ss-blog.jp/2023-03-19
先日、夢を見た。N先生が現れ、私は自分の書いた論文の原稿を先生に渡し、ここはこうしたらいいなどコメントを書いて頂いたものが戻ってきた。おもしろいのは、私が挿絵のようなものを描いていて、それに先生がきれいに色をつけて素敵な絵に仕上げていたことだ。N先生は私の精神医学、精神医療、精神分析の師匠である。師から伝達されるものは文字には表せないものがある。そして、師から弟子への一方向ではなく、双方向のやり取りがあり、その上でものごとの神髄が伝達されるのである。N先生は、昨年2022年の4月に亡くなっている。そのことは今までこのブログに書かずにいた。書かずにいたというよりは、書けなかったという方が正確なのかも知れない。先生が亡くなったことを認めたくないという思いがこころのどこかにあったような気がする。N先生は西園昌久先生のことなのだが、いろいろと書き出せばキリがない。記憶を辿ろうとすれば、なつかしくもあり、苦しくもある。一言だけ何か言おうとすれば、感謝の念、それしかない。話は変わるが、今月、3月末で長年勤めた精神科病院を退職することになった。これまでいくつかの病院やクリニックに勤めたが、今までで一番在籍期間が長かった。名残惜しく寂しい気持ちはあるが、残りの勤務を全うし、4月からは新たな気持ちでいろいろなことに取り組んでいきたい。
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kokoroan
2023-03-19T22:02:33+09:00
話は変わるが、今月、3月末で長年勤めた精神科病院を退職することになった。これまでいくつかの病院やクリニックに勤めたが、今までで一番在籍期間が長かった。名残惜しく寂しい気持ちはあるが、残りの勤務を全うし、4月からは新たな気持ちでいろいろなことに取り組んでいきたい。
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謹賀新年2023
https://kokoro-analysis.blog.ss-blog.jp/2023-01-06
新年おめでとうございます。今年もよろしくお願い致します。大晦日は数年ぶりに友人に会い歓談し、正月は遠出はせずゆっくりすごし、新年の始動となった。今年の標語のようなものは「一つ一つ」にしようと思う。「じっくり」とか、「地道に」も好きな言葉ではあるが、掛け声ばかりでなかなかやれないということも多いので、「一つ一つ」の方が一歩一歩進んでいきそうな気がする。ということで、まずは一つ、進んだ。
未分類
kokoroan
2023-01-06T08:09:51+09:00
今年もよろしくお願い致します。
大晦日は数年ぶりに友人に会い歓談し、正月は遠出はせずゆっくりすごし、新年の始動となった。今年の標語のようなものは「一つ一つ」にしようと思う。「じっくり」とか、「地道に」も好きな言葉ではあるが、掛け声ばかりでなかなかやれないということも多いので、「一つ一つ」の方が一歩一歩進んでいきそうな気がする。
ということで、まずは一つ、進んだ。
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無ー意味
https://kokoro-analysis.blog.ss-blog.jp/2022-12-09
今年もあと3週間ほどとなった。慌ただしい日々が続いている。コロナ禍となり、学会も中止となったり、リモートでの開催となったりで変則的であったが、今年の精神分析学会は久しぶりの現地開催となり、しかも横浜だったので、出かけてきた。やはり、直接人と会い、話を聞いたり討論することは、意義深い。その後も、カンファレンスや研究会が続いた。先日の研究会は単発の企画で比較的少人数だったが、いろいろな連想が起こりワクワク感があった。やはり勉強というのは、おもしろいという感覚が大切だ。しなければとか、やらされているという感覚では、どうも身が入らない。精神科専門医も一応持ってはいるが、更新には学会へ出席しポイントやら単位を取得し、レポートも書いてと、やたらと煩わしい。まあ制度としては仕方ないのかもしれないが、次回の更新はやめようかという気持ちさえ起ってくる。世の中の出来事はいろいろある。国際情勢ではロシア、ウクライナの問題。円安、物価高の問題。つい先日はサッカーのワールドカップ。いろいろ考える材料はあるのだが、このブログの記事は滞っていた。どうも、考えを文章にするという気になりにくい、ということもあるようだ。今年になって、人生観や世界観、と言うと大げさだが、自分の思考様式が変化しているような気がする。そうなると、今、こうだと考えたことが、明日にはああだになってしまうのではないかという気持ちが起こる。思考自体がふわふわと浮遊したものになり書きとめようという気になれないのである。今年はラカンのセミネール10巻「不安」を読んでいるのだが、今、ぱっとページを開いたら、「不安」「動揺」という文字が飛び込んできた。そのあたりはまだ読んでいないのだが、私の無意識がその文字に吸い寄せられたということだろうか。とりとめのないことを書いているのはわかっている。でも、くだらないとか、無意味だということでもない。無意味なのではなく、「無ー意味」だとか「無」が背景のテーマなのか?いまは、そんな気がする、としか言えない。
未分類
kokoroan
2022-12-09T21:48:05+09:00
その後も、カンファレンスや研究会が続いた。先日の研究会は単発の企画で比較的少人数だったが、いろいろな連想が起こりワクワク感があった。やはり勉強というのは、おもしろいという感覚が大切だ。しなければとか、やらされているという感覚では、どうも身が入らない。精神科専門医も一応持ってはいるが、更新には学会へ出席しポイントやら単位を取得し、レポートも書いてと、やたらと煩わしい。まあ制度としては仕方ないのかもしれないが、次回の更新はやめようかという気持ちさえ起ってくる。
世の中の出来事はいろいろある。国際情勢ではロシア、ウクライナの問題。円安、物価高の問題。つい先日はサッカーのワールドカップ。いろいろ考える材料はあるのだが、このブログの記事は滞っていた。どうも、考えを文章にするという気になりにくい、ということもあるようだ。今年になって、人生観や世界観、と言うと大げさだが、自分の思考様式が変化しているような気がする。そうなると、今、こうだと考えたことが、明日にはああだになってしまうのではないかという気持ちが起こる。思考自体がふわふわと浮遊したものになり書きとめようという気になれないのである。
今年はラカンのセミネール10巻「不安」を読んでいるのだが、今、ぱっとページを開いたら、「不安」「動揺」という文字が飛び込んできた。そのあたりはまだ読んでいないのだが、私の無意識がその文字に吸い寄せられたということだろうか。
とりとめのないことを書いているのはわかっている。でも、くだらないとか、無意味だということでもない。無意味なのではなく、「無ー意味」だとか「無」が背景のテーマなのか?いまは、そんな気がする、としか言えない。
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シンプルな夢
https://kokoro-analysis.blog.ss-blog.jp/2022-10-09
いよいよ気温も下がってきて、秋らしくなってきた。しばらく前のことになるが、夢を見たのでメモとして記しておこう。私は図書館の視聴覚教室のようなところにいる。机上の機器をいじっていると、モニターから音が鳴りだした。そもそも私はその機器のことがわかっていないのでどうすることもできない。「このおじさん、何やってんだろう」というような目でこちらを見る人もいる。近くの若者に助けを求めると、あっと言う間につまみを調節してくれて事なきを得た。その若者は私の持っている本を見て言う。若者: 精神分析ですか?受けたりするんですか?私: 昔、受けていたことがあります。若者: どうでしたか?私: 私にとってはよかったですよ。シンプルな夢なので、いろいろな連想が湧きそうだ。いくつか浮かぶことはあるが、それを書いてしまうと連想が限定されてしまうので、素材だけでやめておくことにしよう。一つか二つだけでも連想を書きたくはなる。いやいや、ここでおしまい、と私の中の分析家が言う。従っておくことにしよう。
未分類
kokoroan
2022-10-09T23:27:09+09:00
しばらく前のことになるが、夢を見たのでメモとして記しておこう。
私は図書館の視聴覚教室のようなところにいる。
机上の機器をいじっていると、モニターから音が鳴りだした。
そもそも私はその機器のことがわかっていないのでどうすることもできない。
「このおじさん、何やってんだろう」というような目でこちらを見る人もいる。
近くの若者に助けを求めると、あっと言う間につまみを調節してくれて事なきを得た。
その若者は私の持っている本を見て言う。
若者: 精神分析ですか?受けたりするんですか?
私: 昔、受けていたことがあります。
若者: どうでしたか?
私: 私にとってはよかったですよ。
シンプルな夢なので、いろいろな連想が湧きそうだ。
いくつか浮かぶことはあるが、それを書いてしまうと連想が限定されてしまうので、素材だけでやめておくことにしよう。
一つか二つだけでも連想を書きたくはなる。いやいや、ここでおしまい、と私の中の分析家が言う。
従っておくことにしよう。
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蝉語
https://kokoro-analysis.blog.ss-blog.jp/2022-07-30
ふとソファーを見ると、蝉が止まっていた。なぜこんなところにいるのだろう。いくら考えたところで正確な答は出てこない。背もたれのところなので、そこに蝉がいる限り座ることはできない。平穏無事に外に出ていってもらいたいものである。とは言え、誘導するのが一苦労だ。下手をすると蝉が驚いて部屋中を無茶苦茶に飛び回り、悲惨な状況となることも考えられる。今のところはじっとして一歩も動かないので、静観することにした。というよりは、よい案が見つからないのである。知人にメールしてみたら、ビニールでつかんで逃がすくらいしか方法はないのではないかと言う。最後はそうするしかないかもしれないが、逃げようとして暴れて羽が傷ついてしまう恐れがある。結局、蝉はソファーに泊まったまま、一晩を越した。翌朝も動かずにそこにいる。よくもそんなにじっとしていられるものだ。もちろん、勝手に動いて見えないところに隠れてしまうよりそうしてくれる方が有り難い。ソファーから1メートルほど離れたところで、シャツにアイロンをかけた。そこはアイロンをかけるいつものポジションである。それにしても夏のアイロン掛けは暑い。突如、蝉が短く2回鳴いた。ミンミンでもジージーでも、おーしんつくつくでもない。あまり聞かない声である。外に出たいという意志表示なのであろうか?なぜかそういう考えが起こってきて、ガラス戸と網戸を開けた。蝉はまたたく間に、外に飛び出ていった。蝉はたまたま迷いこんで出られなくなったのだろう。私は自由な外に出ていってほしいし、蝉もそれを願っていたのに違いない。日本語は通じない。私としては、私が蝉に危害を加えないということをなんとなく伝えるしかなかった。蝉は蝉なりに、ここぞというタイミングを待ち、自分なりに意志を表そうとしたのではないか。蝉もほっとしたに違いないが、私もほっとした。
未分類
kokoroan
2022-07-30T11:05:56+09:00
平穏無事に外に出ていってもらいたいものである。とは言え、誘導するのが一苦労だ。下手をすると蝉が驚いて部屋中を無茶苦茶に飛び回り、悲惨な状況となることも考えられる。今のところはじっとして一歩も動かないので、静観することにした。というよりは、よい案が見つからないのである。知人にメールしてみたら、ビニールでつかんで逃がすくらいしか方法はないのではないかと言う。最後はそうするしかないかもしれないが、逃げようとして暴れて羽が傷ついてしまう恐れがある。
結局、蝉はソファーに泊まったまま、一晩を越した。翌朝も動かずにそこにいる。よくもそんなにじっとしていられるものだ。もちろん、勝手に動いて見えないところに隠れてしまうよりそうしてくれる方が有り難い。
ソファーから1メートルほど離れたところで、シャツにアイロンをかけた。そこはアイロンをかけるいつものポジションである。それにしても夏のアイロン掛けは暑い。突如、蝉が短く2回鳴いた。ミンミンでもジージーでも、おーしんつくつくでもない。あまり聞かない声である。外に出たいという意志表示なのであろうか?なぜかそういう考えが起こってきて、ガラス戸と網戸を開けた。蝉はまたたく間に、外に飛び出ていった。
蝉はたまたま迷いこんで出られなくなったのだろう。私は自由な外に出ていってほしいし、蝉もそれを願っていたのに違いない。日本語は通じない。私としては、私が蝉に危害を加えないということをなんとなく伝えるしかなかった。蝉は蝉なりに、ここぞというタイミングを待ち、自分なりに意志を表そうとしたのではないか。
蝉もほっとしたに違いないが、私もほっとした。
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反省と許容
https://kokoro-analysis.blog.ss-blog.jp/2022-06-16
コロナ関連での状況もだいぶ変わってきて、最近はあちこち人出が多い。先日、立ち食いの蕎麦屋で行列ができていてビックリした。立ち食いはいわゆる客の回転が早いわけだが、それでも行列になっている。一方で、カフェに入れず待っている人がいるので、すぐに入れるので重宝していたカフェに行ってみると閉店になっていたということもあった。ある飲食店に入ると、初めて見る店員がいた。注文してもいったいどんな食べ物だろうという架空の名前を呼称したりで心許ない。梅酒を頼んだところ、ふつうのものではなくブランデー梅酒を注いでしまったらしい。ベテランの店員が「間違って注いでしまったんですけど、いります?」と聞いてきた。私には1杯で十分なので、断った。その後が問題なのだ。ブランデー梅酒ってどういうものなんだろう?ふつうなら注文しないところ、せっかくの機会なのだからもらえばよかった。いや、2杯も飲むのは飲みすぎだ。気分が悪くなるだろうし飲みすぎだ。いや、やってみないで、あれこれ考えるのはよろしくない。等々、余計な考えが湧いてくる。ちびちびと梅酒を飲んでいるうちに料理が来た。食べ終わる頃にはなんとなくホワっとしてきて酔いが程々に回ってきたようだ。やはり、このくらいが丁度いい。1杯にしておいてよかった。ということでぐだぐだした迷いも収まったのだった。いろいろな状況で似たようなことはあるのだろう。人との関係でも、自分が言ったこと、メールしたことで、後であれはどうかなと思ってしまうことがある。日常生活ではどんどん判断しやっていかなければならないことが多い。たとえ熟考したとしても、それがベストかどうかはわからない。迷いだせばキリがないのだ。大事なのは反省と許容ということなのではないか。自分の行為をすべて正しいと思って、何も反省しなければ傲慢であり進歩はない。かと言って、あまりに自分の至らなさを責め続けるというのも行き過ぎであろう。振り返った上でそれはそれでよしとして、前へ進む。まあそんなやり方がいいのではないのだろうか。というのが今日の自由連想である。タイトルは、反省と許容としよう。
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kokoroan
2022-06-16T06:33:21+09:00
ある飲食店に入ると、初めて見る店員がいた。注文してもいったいどんな食べ物だろうという架空の名前を呼称したりで心許ない。梅酒を頼んだところ、ふつうのものではなくブランデー梅酒を注いでしまったらしい。ベテランの店員が「間違って注いでしまったんですけど、いります?」と聞いてきた。私には1杯で十分なので、断った。その後が問題なのだ。ブランデー梅酒ってどういうものなんだろう?ふつうなら注文しないところ、せっかくの機会なのだからもらえばよかった。いや、2杯も飲むのは飲みすぎだ。気分が悪くなるだろうし飲みすぎだ。いや、やってみないで、あれこれ考えるのはよろしくない。等々、余計な考えが湧いてくる。ちびちびと梅酒を飲んでいるうちに料理が来た。食べ終わる頃にはなんとなくホワっとしてきて酔いが程々に回ってきたようだ。やはり、このくらいが丁度いい。1杯にしておいてよかった。
ということでぐだぐだした迷いも収まったのだった。いろいろな状況で似たようなことはあるのだろう。人との関係でも、自分が言ったこと、メールしたことで、後であれはどうかなと思ってしまうことがある。日常生活ではどんどん判断しやっていかなければならないことが多い。たとえ熟考したとしても、それがベストかどうかはわからない。迷いだせばキリがないのだ。
大事なのは反省と許容ということなのではないか。自分の行為をすべて正しいと思って、何も反省しなければ傲慢であり進歩はない。かと言って、あまりに自分の至らなさを責め続けるというのも行き過ぎであろう。振り返った上でそれはそれでよしとして、前へ進む。まあそんなやり方がいいのではないのだろうか。というのが今日の自由連想である。タイトルは、反省と許容としよう。
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ゴールデンウィーク
https://kokoro-analysis.blog.ss-blog.jp/2022-04-29
今日からゴールデンウィークが始まった。外では梅雨のような雨が降っている。明日は天気は回復するらしい。昨夜は、皿を割ってしまった。カップの受け皿で、ずいぶん古いものなのだが、食器棚にしまおうとして、手から滑り落ちてしまったのである。あっと思った時には、手を伸ばして阻止する暇もなく、床面にぶつかり割れる受け皿を見届けるしかなかった。割れてしまうという現象は残念だが、それはそれとして事実を受けれいれるだけしかないのだと感じた。考えてみれば、カップは1個しか残っていないが、受け皿はまだ3枚あるのである。たぶん、当初はカップと受け皿は4つづつあったのだろう。カップは割れるか欠けるかで3個が廃棄されて、受け皿は4枚とも無傷だったのだろう。つまり受け皿は1枚あればこと足りるところが、余剰の受け皿は処分されずに残っていたのだ。食器棚を見て、やたらと受け皿が多いなとは思っていた。どうも数が合わないので、少し処分してもよいのでは、とは思っていた。ところが数を確認するのも面倒で、そのまま放置していた。そう考えれば、今回、落として割ってしまったことにより自動的に不要なものを処分できるのだから、メリットもあったと考えることはできる。数と、損得勘定の問題はその程度で、これ以上、考えたところで何も生まれそうにはない。ふと、今、読んでいるラカンのセミネール10巻「不安」のことが頭に浮かんだ。一応、不安がテーマになっているが、不安を考える際に絡んでくる「対象a」のことを思った。対象a はラカンが提唱した概念だが、ラカン自身の説明や解説書を読んでも、字面だけではまあそういうものかという感覚にはなるのだが、どうも実感、体感として理解できるということが難しいのである。はっきりとしない捉えどころのないものでありながら、無いというわけではない、という特性があるので、説明自体も隔靴掻痒で、わかるようなわからないような、というものになってしまう。だが、この落ちて割れた受け皿のことを考えると、アナロジー的に対象a が実感されるような気がしてきた。あっと思って、皿が落ちる刹那。使用できるものとしての受け皿が破片になり屑になってしまう。そして、これがなくなったからといって困ることはない、つまり他にも受け皿はあるのだから。余剰なものとしての受け皿が落下し屑になったのである。こういう実感したものを仮の道しるべとして、対象a について書かれている部分を読んでみると、理解が..
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kokoroan
2022-04-29T17:02:30+09:00
割れてしまうという現象は残念だが、それはそれとして事実を受けれいれるだけしかないのだと感じた。考えてみれば、カップは1個しか残っていないが、受け皿はまだ3枚あるのである。たぶん、当初はカップと受け皿は4つづつあったのだろう。カップは割れるか欠けるかで3個が廃棄されて、受け皿は4枚とも無傷だったのだろう。つまり受け皿は1枚あればこと足りるところが、余剰の受け皿は処分されずに残っていたのだ。食器棚を見て、やたらと受け皿が多いなとは思っていた。どうも数が合わないので、少し処分してもよいのでは、とは思っていた。ところが数を確認するのも面倒で、そのまま放置していた。そう考えれば、今回、落として割ってしまったことにより自動的に不要なものを処分できるのだから、メリットもあったと考えることはできる。数と、損得勘定の問題はその程度で、これ以上、考えたところで何も生まれそうにはない。
ふと、今、読んでいるラカンのセミネール10巻「不安」のことが頭に浮かんだ。一応、不安がテーマになっているが、不安を考える際に絡んでくる「対象a」のことを思った。対象a はラカンが提唱した概念だが、ラカン自身の説明や解説書を読んでも、字面だけではまあそういうものかという感覚にはなるのだが、どうも実感、体感として理解できるということが難しいのである。はっきりとしない捉えどころのないものでありながら、無いというわけではない、という特性があるので、説明自体も隔靴掻痒で、わかるようなわからないような、というものになってしまう。だが、この落ちて割れた受け皿のことを考えると、アナロジー的に対象a が実感されるような気がしてきた。あっと思って、皿が落ちる刹那。使用できるものとしての受け皿が破片になり屑になってしまう。そして、これがなくなったからといって困ることはない、つまり他にも受け皿はあるのだから。余剰なものとしての受け皿が落下し屑になったのである。こういう実感したものを仮の道しるべとして、対象a について書かれている部分を読んでみると、理解が進むのかもしれない。
いずれにしても、理論というのは字面だけで頭で理解しても、なかなか臨床には直結しない。それにしても、私が几帳面で、いらないものは捨てようという考えを実行に移していたとしたら、受け皿を落とすこともなかったわけだ。これは余剰な連想かもしれない。このあたりで、おしまいにしよう。
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いいこと
https://kokoro-analysis.blog.ss-blog.jp/2022-03-31
年度末となり慌ただしい日々が続いている。明日からは令和4年度となる。連日、ニュースはウクライナのことで大変な状況が伝えられているし、コロナもまん防が解除となったと思ったら、またもや増加傾向に転じた感がある。先日、研究会があったが、結局、オンラインのみとなった。そして続々と物の値段は上がる。このブログは月1回の記事が慣例のようになったが、そうすると決めているわけではない。なんとなくそうなったのだ。とは言え、今日を逃すと4月になってしまうので、それも悔しい気がして今、書いている次第だ。あれもこれも大変だという話になってしまっている。現実がそういう状況なのに、そういう表現ばかりではこれまた悔しい。今は桜があちこちで咲いている。花見をするというわけではないが、通りすがりでもやはりきれいな花を見るのは嬉しい。ゆったり過ごす気持ちを持ちたいものだ。世界のあちこちで命の危険にさらされている人が大勢いる。ある国際的団体にこころばかりの寄付をした。郵便局のATM を使おうとしたのだが、はじかれてしまってうまくいかない。別の機械でやり直したがやはりダメだ。窓口に行く時間的余裕もないので、別の機会に本局に立ち寄った。どうせだめだろう、直接窓口に行こうか。いや、待てよ。一応、トライはしてみるか。ATM でまずはやってみたところ、一発で操作が完了した。たぶんダメかなという弱気な気持ちをなんとかなだめ、やってみたらすんなりうまくいってしまった。いいことがあった。
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kokoroan
2022-03-31T18:48:37+09:00
とは言え、今日を逃すと4月になってしまうので、それも悔しい気がして今、書いている次第だ。あれもこれも大変だという話になってしまっている。現実がそういう状況なのに、そういう表現ばかりではこれまた悔しい。今は桜があちこちで咲いている。花見をするというわけではないが、通りすがりでもやはりきれいな花を見るのは嬉しい。ゆったり過ごす気持ちを持ちたいものだ。
世界のあちこちで命の危険にさらされている人が大勢いる。ある国際的団体にこころばかりの寄付をした。郵便局のATM を使おうとしたのだが、はじかれてしまってうまくいかない。別の機械でやり直したがやはりダメだ。窓口に行く時間的余裕もないので、別の機会に本局に立ち寄った。どうせだめだろう、直接窓口に行こうか。いや、待てよ。一応、トライはしてみるか。ATM でまずはやってみたところ、一発で操作が完了した。たぶんダメかなという弱気な気持ちをなんとかなだめ、やってみたらすんなりうまくいってしまった。
いいことがあった。
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今年の標語はこれ
https://kokoro-analysis.blog.ss-blog.jp/2022-02-10
寒い。霙(みぞれ)が降っている。東京では雪が降っているし、山間部では積もっているとニュースが報じている。冬季オリンピックは部分的にちらちらと見ているが、いろいろなドラマがある。メダルを取れる実力がある者が必ず取れるというわけではない。せっかく取っても、本人は金を熱望していたので、他のメダルでは今一つ満足感がない、等々。オリンピック選手に限らず、人生は思うようにはいかないことがしばしばである。逆に思いもかけずよいことが起きる場合もある。まさに人生いろいろだ。コロナも昨年秋は落ち着いていたが、今は感染疑いの人があまりに多くて検査しようにもキットがなくてできないという状況があちこちで起こっている。思うようにはいかない。そのために不安が生じたり、うつ状態となることは珍しいことではない。そこに泥沼のようにはまり込んでしまうことは避けたいものである。父が亡くなっておよそ20年。読書とゴルフが趣味だったが、書斎にゴルフの本も多数あった。処分してしまって、今は何も残っていないと思う。アメリカのレッスンプロがゴルフの基本について書いた本があった。こころの安寧 (peace of mind) が大事だと書いてあった記憶がある。たぶんゴルフに限らず、いろいろなことに応用可能だと思って記憶に留まっているのではないかと思う。ゴルフは、単に技量が優れているだけでは、よい成績は望めないだろう。風雨に悩まされたり、ナイスショットと思っても、着地の具合で思わぬ方向に跳ねてバンカーに入ってしまうということもあるだろう。そういう思わぬ出来事にも動揺せず、次のショットに集中しなければならない。あるいは全体的に調子がよい日、悪い日というのもあるだろう。調子が悪いからといって、もうダメだと投げ出したのではどんどんスコアは悪くなるばかりだ。調子が悪いなりになんとか凌ぐという姿勢が必要であろう。精神症状で、過呼吸というものがあるが、呼吸がしにくいので、頑張って空気を吸おうとする。結果的には浅く早い呼吸となり、生理学的にはどんどんバランスが崩れ、意識レベルが低下するなど事態は悪循環的に悪くなってしまう。過呼吸が起こった場合は慌てないこと、できる範囲でゆっくり深く呼吸をすることが大事だ。慌てない。ゆっくり、じっくり。そう言えば、今年の標語のようなものを考えていなかった。これにしよう。
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kokoroan
2022-02-10T21:57:21+09:00
コロナも昨年秋は落ち着いていたが、今は感染疑いの人があまりに多くて検査しようにもキットがなくてできないという状況があちこちで起こっている。
思うようにはいかない。そのために不安が生じたり、うつ状態となることは珍しいことではない。そこに泥沼のようにはまり込んでしまうことは避けたいものである。
父が亡くなっておよそ20年。読書とゴルフが趣味だったが、書斎にゴルフの本も多数あった。処分してしまって、今は何も残っていないと思う。アメリカのレッスンプロがゴルフの基本について書いた本があった。こころの安寧 (peace of mind) が大事だと書いてあった記憶がある。たぶんゴルフに限らず、いろいろなことに応用可能だと思って記憶に留まっているのではないかと思う。ゴルフは、単に技量が優れているだけでは、よい成績は望めないだろう。風雨に悩まされたり、ナイスショットと思っても、着地の具合で思わぬ方向に跳ねてバンカーに入ってしまうということもあるだろう。そういう思わぬ出来事にも動揺せず、次のショットに集中しなければならない。あるいは全体的に調子がよい日、悪い日というのもあるだろう。調子が悪いからといって、もうダメだと投げ出したのではどんどんスコアは悪くなるばかりだ。調子が悪いなりになんとか凌ぐという姿勢が必要であろう。
精神症状で、過呼吸というものがあるが、呼吸がしにくいので、頑張って空気を吸おうとする。結果的には浅く早い呼吸となり、生理学的にはどんどんバランスが崩れ、意識レベルが低下するなど事態は悪循環的に悪くなってしまう。過呼吸が起こった場合は慌てないこと、できる範囲でゆっくり深く呼吸をすることが大事だ。
慌てない。ゆっくり、じっくり。そう言えば、今年の標語のようなものを考えていなかった。これにしよう。
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謹賀新年2022
https://kokoro-analysis.blog.ss-blog.jp/2022-01-02
新年あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願い致します。晴れて穏やかな日。きれいな写真を撮って掲載すればよいのだろうが、ふだん写真をほとんど撮ることはなく、このブログも文章のみで続けている。今年もその様式、ペースでやっていこうと思っている。訪問してくださる方、nice をくださる方がいることは有難い。もしもブログを見る人がゼロであれば、自分だけで日記でも書いていればよいのだから。コメント欄も開けていないので、この場を借りてお礼申し上げます。皆さまにとってよい年となることを願っています。
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kokoroan
2022-01-02T14:56:30+09:00
今年もよろしくお願い致します。
晴れて穏やかな日。きれいな写真を撮って掲載すればよいのだろうが、ふだん写真をほとんど撮ることはなく、このブログも文章のみで続けている。今年もその様式、ペースでやっていこうと思っている。訪問してくださる方、nice をくださる方がいることは有難い。もしもブログを見る人がゼロであれば、自分だけで日記でも書いていればよいのだから。コメント欄も開けていないので、この場を借りてお礼申し上げます。
皆さまにとってよい年となることを願っています。
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間もなく
https://kokoro-analysis.blog.ss-blog.jp/2021-12-31
あと数時間で今年も終わりで新年を迎える。今、テレビをつけていてNHKの紅白歌合戦をやっている。ここ数年ほとんど見ていなかったが、たまにはどんな様子かとちらちらと見ている。出だしのCGが立体的で当たり前だが昔より進歩したなとか、知らない出演者が多い、踊りの動きが激しく大人数でも統制が取れているとか、まあたまには世の中の変化を垣間見るということになるのかもしれない。本年2021年もコロナには翻弄された。外出がしづらく、引き続き飛行機にも新幹線にも乗らず旅行に出かけることもなかった。とは言え、秋は感染者数が落ち着いたので、久しぶりにジャズライブで数曲歌った。束の間の平和の後は、最近はまた感染者数が増えてきていて、オミクロン株が心配な状況となってきている。一難去ってまた一難、山あり谷ありの時の流れである。自分の専門では、学会や研究会はリモートのみで、今年は一度もリアルな現地会場での参加はできなかった。まあ、昔のことを考えればリモート開催できるだけでも有難いと言えるだろう。来年はどういう年になるのか?また、どうやって過ごしていくのか?いろいろなことをやりたい。一言でと言うと、そういう文句が浮かんできた。ここ数日、学術的な本や論文を読んでいない。今から30分でもよいから読むかな。読みたいと思いながらそのままになっている面白そうな精神分析の論文があるのだ。明日にせろ文句は。いや、今日するのです。では。
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kokoroan
2021-12-31T20:20:15+09:00
本年2021年もコロナには翻弄された。外出がしづらく、引き続き飛行機にも新幹線にも乗らず旅行に出かけることもなかった。とは言え、秋は感染者数が落ち着いたので、久しぶりにジャズライブで数曲歌った。束の間の平和の後は、最近はまた感染者数が増えてきていて、オミクロン株が心配な状況となってきている。一難去ってまた一難、山あり谷ありの時の流れである。自分の専門では、学会や研究会はリモートのみで、今年は一度もリアルな現地会場での参加はできなかった。まあ、昔のことを考えればリモート開催できるだけでも有難いと言えるだろう。
来年はどういう年になるのか?また、どうやって過ごしていくのか?
いろいろなことをやりたい。一言でと言うと、そういう文句が浮かんできた。ここ数日、学術的な本や論文を読んでいない。今から30分でもよいから読むかな。読みたいと思いながらそのままになっている面白そうな精神分析の論文があるのだ。明日にせろ文句は。いや、今日するのです。では。
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時間
https://kokoro-analysis.blog.ss-blog.jp/2021-11-30
時間とは規定されているもので、それ故、スポーツの記録も比較ができるわけである。だが、心理的な時間の感覚はかなりの揺れ幅がある。11月はかなりいろいろなことがあり、てんやわんやだったが、あっという間に終わったという感覚もあれば、通常の2,3カ月分のボリュームがあったという感覚もある。不思議なもので、自宅のスリッパがボロボロになっていて新しいものを買おうと数カ月前から思っていたのだが、ここ数カ月で一番忙しい11月になんとか購入した。それにしても、時間は貴重なものだ。もっといろいろなことができたはずだという後悔に近い念が生じることもあれば、いや、あまりに頑張りすぎるのもかえって潰れてしまうかもしれない、如何なものかという考えも生じる。まあ、こういうことを振り返ったところでそれこそ時間の無駄になりそうなので、ぼちぼちとやっていくしかない。明日から12月だ。今、思い出したのだが、一つ、発見があった。たとえば、今日やるべきことがあれもこれもとたくさんあって、思考が止まってしまっているとしよう。あれやらこれやらが思い浮かんできて結局、体が動かない。なにからどうしたらよいのか頭が働かない。こういう時に、「今できることをやる」と自分で自分にアドバイスしてみる。するとまずはこれをやろうと、ひとつひとつ物事をやっていくという流れが出てくる。あるいは、忙しいとついうっかりものを忘れたりなどミスが生じることがある。その時も、ミスにこだわるのではなく、「今できることをやる」と一旦考えてみると、ミスの悪影響を最小限にすることができる。今できないことをやることは無理なわけで、「今できることをやる」というのは当たり前のことで、アドバイスとも言えないようなものかもしれない。ところが、意外に頭の片隅に置いておくとよいものである。ということに気づいた11月であった。
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kokoroan
2021-11-30T18:06:09+09:00
11月はかなりいろいろなことがあり、てんやわんやだったが、あっという間に終わったという感覚もあれば、通常の2,3カ月分のボリュームがあったという感覚もある。不思議なもので、自宅のスリッパがボロボロになっていて新しいものを買おうと数カ月前から思っていたのだが、ここ数カ月で一番忙しい11月になんとか購入した。
それにしても、時間は貴重なものだ。もっといろいろなことができたはずだという後悔に近い念が生じることもあれば、いや、あまりに頑張りすぎるのもかえって潰れてしまうかもしれない、如何なものかという考えも生じる。まあ、こういうことを振り返ったところでそれこそ時間の無駄になりそうなので、ぼちぼちとやっていくしかない。明日から12月だ。
今、思い出したのだが、一つ、発見があった。たとえば、今日やるべきことがあれもこれもとたくさんあって、思考が止まってしまっているとしよう。あれやらこれやらが思い浮かんできて結局、体が動かない。なにからどうしたらよいのか頭が働かない。こういう時に、「今できることをやる」と自分で自分にアドバイスしてみる。するとまずはこれをやろうと、ひとつひとつ物事をやっていくという流れが出てくる。あるいは、忙しいとついうっかりものを忘れたりなどミスが生じることがある。その時も、ミスにこだわるのではなく、「今できることをやる」と一旦考えてみると、ミスの悪影響を最小限にすることができる。今できないことをやることは無理なわけで、「今できることをやる」というのは当たり前のことで、アドバイスとも言えないようなものかもしれない。ところが、意外に頭の片隅に置いておくとよいものである。ということに気づいた11月であった。
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