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こころの充実とは

最近、マインドフルネスという言葉を時々目にするようになった。どうも仏教の考え方や修行法を精神療法(心理療法)に取り入れたものらしいのだが、胡散臭いもののような気もして若干避けていたような気がする。そもそもマインドフルという言い方が、気になる。へなちょことは言え、禅修行をした者としては、「無」が真髄であり、マインドがフル、すなわち充実しているとは、いかなる事態であろうか、という疑問が生じたのである。しかし、そうこうするうちに新聞の文化とか健康の紙面にも掲載されるようになり、無視するわけにはいかなくなったかなと思うようになった。

「精神療法」(金剛出版)という雑誌の2016年第4号の特集は「マインドフルネスを考える、実践する」というものだったので、購入してみた。まだ一部をちらりと見た程度であるが、一通り読めばそこそこのことがわかりそうである。アメリカではかなりの関心をよんでいるらしい。欧米で流行れば日本でも流行るというお決まりのコースに乗るとすれば、日本でも段々注目されるのかもしれない。

とは言え、とやはり言いたくなるのだが、マインドがフルとは何事か、という気持ちは内容を知ってもぬぐえないような気がする。こういうところは、私のこだわり性であり、天邪鬼ということなのかもしれない。

ある患者さんが、「最近、いいこともあれば悪いこともあるんだなあと思うようになりました」と言われた。この文言は禅的と言えば言えるだろうが、私は面談で仏教の話も禅の話もしていない。例えば、あるがまま、というようなキーワード的なものについて話したこともない。何気ないやり取りをしていくうちに、患者さんは自分で考え体験し、そのような考えに至ったのである。

システマティックにするということ自体、その方法論を再考するということも大事なのではないだろうか?
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