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映画「幸せへのまわり道」

しばらく前の話で、たぶんもう上映は終わってしまったと思うのだが、「幸せへのまわり道」という映画を見た。実話に基づいたストーリーとのことで、アメリカの子ども向け長寿番組の名物司会者と雑誌記者の友情を描いたものだ。

司会者フレッド・ロジャースは、彼を取材に来た雑誌記者ロイド・ヴォーゲルが何らかの心理的葛藤を抱えていることを一目で見抜く。単なる取材での関係で終わらず、二人の交流による両人の相互作用的な変化、友情が育まれていく様に見る者は引き込まれてしまう。映画自体おもしろかったが、精神分析に関した連想がいろいろと思い浮かんだという点で、この映画は私には印象に残った。

この二人の関係で大事なのは言語化ということだ。誰にも話せなかったトラウマと言ってよいことを、フレッドの包容力のある態度雰囲気のお陰でヴォーゲルは語れるようになる。そのトラウマは、ヴォーゲルの父および妻とのぎくしゃくした関係の重要な誘因だったと思われるのだが、ひっかかっていた気持ちに向き合い、乗り越えるに従い、人間関係も改善していくのである。

フレッドが果たせた役割は誰でもできるものではないだろう。彼自身がかつて問題を抱え悩み乗り越えたという経験があったに違いない。そして、フレッドは高所から偉い者が下の者を諭すというのではなく、それぞれ一人の人間として、どちらが上でも下でもないという心境により、話を交わすことで、フレッドもまたヴォーゲルから教えられることがあり、そのことを感謝するという両者の関係が見てとれる。この辺りは、私はフロイトの時代の精神分析家フェレンツィの「相互分析」を思い出す。

A Beautiful Day in the Neighborhood が原題だが、邦題は翻訳者の解釈が入りすぎている気がする。生きていればいろいろなことがある。よいことばかりではない。苦しいこと、嫌なこと、悲しいこと、腹立たしいこと、等々。だが、それらをすべてマイナスと捉えることはないのではないだろうか。仮によいことばかりの連続で生きてきた人を想定したとして、果たしてその人は幸せと言えるのだろうか。もっとも、そんなことを考えさせてくれるという意味では、まわり道、という表現もマイナスに捉える必要はないのかもしれない。
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読書の秋

10月に入り、秋も深まってきた。本来なら今月、日本精神分析学会の大会が福岡で開催される予定だったが、コロナ禍のため中止になってしまったのは残念だ。

学会がない分、読書から刺激を受けようという思いもあり、少しずつ精神分析の文献を読んでいるが、最近、日本ラカン協会の機関誌「I.R.S.ージャック・ラカン研究」第19号「特集:フロイディズム再考/再興」が届いた。この論集には私の論文も掲載されている。論文と言っても、昨年2019年7月に名古屋での同協会ワークショップで話したことの大筋を掲載したものである。今回の論集、なかなか面白そうな論文が揃っているので、読んでいきたい。ざっと見渡したところでは、学術論文の体裁であっても背景に臨床的感覚が感じられるような気がする。もちろん、私としてはよい流れだと思っている。今後も学術的な面と臨床的な面のバランスがうまく取れた活動を継続してもらえればと思う。
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