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ここにおいて出会うということ

何回も言っているように、このブログは何かを論じるというわけではなく、その時の思いつきを書いている。思いつきなら自分の中でやっていてもいいようなものだが、こうやってブログの記事として書いているのは何故なのであろうか。こういう問いを立ててみて、思い浮かぶことは二つある。一つは、自分の中でただ考えるのではなく、読者すなわち他者がいるという状況で書いてみるという行為、このことが自分にとって刺激になるということがある。もう一つは、読むひとにとって、私の思いつきの文章が一つの刺激になって、何かを考えてもらうきっかけになるのではないかという思いがある、ということである。

精神分析において、分析主体は分析家の現前する状況で自由連想を語っていく。自分の中だけでぐるぐる思考がめぐっているのとは、語るという行為の効果は違ってくる。もちろん、語り方そのものからして、自分の中だけでの思考、言葉とは変わってくるだろう。そういう意味では、精神分析する(精神分析家のもとに行き、自由連想をする)というところまでいかなくても、ちゃんと話を聞いてくれる人、たとえば友人、知人と自由にざっくばらんに話すということは、それなりにけっこう大きな効果をもたらしてくれるような気がする。

こうやって書いていると、どうして今日の話の流れがこうなってきたのかがわかってきた。コロナの前には時々行っていたあるジャズバーに、久しぶりに出かけた。懐かしさと共に、店のスタッフとの会話も楽しめたが、予想以上にお客さんが多く、嬉しそうに歓談している様子も見受けられた。演奏が始まってからもしばらく話し声が続いていたりもして、以前の私であればイライラしたかもしれないが、今回ばかりは、「皆さん、やはり人とリアルに会ったり話したりすることにある意味飢えていたのだろうな」と感じて、微笑ましく思う気持ちが生じた。

コロナ感染状況が今は落ち着いているとは言え、冬になれば空気は乾燥し、換気も秋よりは悪くなる可能性がある。感染再拡大には十分用心しなければいけないのは言うまでもないが、リモートやメールなどでの交流ではなく、実際に人と会うことの貴重さや意義深さはあらためて感じるものがある。
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