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雑ではない雑談

私は月1回の精神科デイケアの集団精神療法にスタッフの一人として参加している。何かテーマを決めるということはなく、その場で思いついたことを話してもらう。その時、その時で、雰囲気がちがったり、なかなか味わい深い展開になって、その時間が気に入っている。12月、今年の最終回では、今年を振り返るという話になり、私は草間彌生の展覧会に行ったことが印象深かったことを話した。絵画や歌などの話題につながり、なかなか意義深い話になった。

そもそも自由連想は思いついたことを話すので、一見すると雑談に近いところがある。だが、そこから世の中のこと、自分の性格や行動のこと、自分が考えていたこととは別の視点もあるということなどを、考える契機となるというところがミソなのである。別に精神分析だとか精神療法と堅苦しく考えなくても、ふだんの雑談でもそういう展開となることはあるだろうし、話すということでのカタルシス効果が得られることもあるに違いない。

インターネットでは、過激な発言をしたり、状況から考えてやらせとは思えないことにやらせだと囃し立てたり、まったく思考力がないと思われるワンパターン的な誹謗中傷が見られる。そういう現象がけしからんとか、フィルターのようなものを作って過激な発言は流布しないよう規制しようなとという話を聞く。だが、その背景を考えてみると、もしかしたら、雑談の機会というものが昔より減っているのではないか、という連想が湧いてくる。

数十年前は、会社の交際費というのが今より大幅に認められていた。会社員は、けっこうそういう金を使って飲食をしていた。あるいは、自腹で飲んでも会社からタクシー券をもらって帰宅したりと公私混同のようなこともあっただろう。飲みに言って、愚痴を言うなどという機会も今より昔の方が多かったのではないか。

話が逸れてきたので戻そう。一言に雑談というが、雑という文字からは、たいしたことがないと下手をすると軽く見られそうな、雑談。それにも相当の効用があるのではないだろうか。昔は、直接会ったり電話をしたり、あるいは自分の書く文字で手紙を書くなどして、人と人との交流が成り立っていた。今は、SNS やメールがコミュニケーションのかなり多くの部分を占める。実際、SNS でのやり取りはあるがまだ実際には会ったことがないという友人を持っているひとは多い。昔はペンパルという文通友だちがいたじゃないかという意見も出てるかもしれないが、ワープロもパソコンもない時代では手書きの手紙で、それなりにその人らしさは伝達されていたのである。今は、文字はフォントを変えることはできても文字はお仕着せのものである。写真も、加工が可能である。直に交流するのではなく、何か作り物を介しての交流という度合が強くなっている。

パソコンやスマホを離れ、直接話す。そのことの意義は今まで以上に大きくなっているのではないだろうか。最初から何かだいそれた目的がなくてもいいのである。今はマニュアル社会になってしまって、目的、手段、方法、結果をきっちり描かないといけない、というような風潮になっているが、人と直に会って何気なく雑談、駄弁る、ということがあってもいい。けっしてそれは雑なことではなく、意味のあることだという逆説が存在すると思うのだ。
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合掌

ラカン派のベテラン精神分析家の Serge Cottet 氏が先日亡くなった。そういう知らせを聞いたかと思ったら、今度はジャック・ラカンの娘の Judhith Miller 氏が亡くなったという知らせが入った。私自身は、両氏ともお見かけしたことはあるが直接話したことはないので何か個人的な思い出があるというわけではないが、日本のラカン精神分析の関係者では交流のあった方々もいるので、その悲しみ、残念な思いを聞き知ることがあるこの頃である。お二人が今まで精神分析を牽引されてきたご尽力に敬意を表したい。

私が初めてラカンの存在を知ったのは、彼が亡くなり、ある日本の雑誌に追悼特集として取り上げられた時のことだった。かれこれ30数年前のことだが、そろそろラカンに直に接した世代が亡くなってきたということになる。感慨深いものがあると同時に、私なりに精神分析に貢献しなければと身の引き締まる思いもしてくる。



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せいしんぶんせき

2015年の3月末にいったん運営休止になっていた、神奈川県のピースハウス病院というホスピスのことは、当時このブログでも話題にした。その後、無事に再開されているようである。ようであると言うのは、現地に行ったりスタッフと直接話したというわけではないが、だいぶ前にホームページで再開されていることを知ったのである。なんと言ってもこの分野の日本での草分けであるし、研究所も併設されているので、ぜひとも存続してほしかったのでほっとした気持ちだ。

私が精神科医として関わっている患者さんは、高齢の方がけっこうおられる。80代、90代、そして以前の話だが100歳を迎えられた方もおられた。健康で長生きできればそれにこしたことはないが、病気や障害で苦労しながら生きていくということもやむを得ない。ものごと、なかなか願望や理想通りとはいかない。どんな境遇があるにしても、少なくとも、まあこんなもんでいいんじゃないの、と思って晩年を迎えたいものである。そのために、私は精神分析を活用したい。活用というと功利的であまりよい表現ではないが、自分の精神分析をさらに前へ進め、そして人々が精神分析を体験できるよう、直接あるいは間接的であっても支援したい、ということである。

今年も残りわずかとなり、今後のことを思ったりなどして、今日はこういう連想になったのだろう。

学会や研究会のシーズンもそろそろ終わりで、年内のスケジュールとして私にとって最後となるのは、日本ラカン協会の17回大会(2017年12月17日開催)である。会場は東京の専修大学。シンポジウムのテーマは「エディプス以後」となっている。
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