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少しずつ

ちょっと、という言葉は会話でよく使われるが、あまりにも幅が広い。ほんの少し、少し、かなり、時には、ものすごく、という意味を持つこともある。「ちょっと」と言ってもどの程度かを判断するのが難しいことがある。文脈や話し手の雰囲気、表情などから推測しなければならない。恐らく、コミュニケーションのギャップが生じていることもあるだろう。それでも、「ちょっと、と言ってたのに、ちょっとじゃないじゃないか」などと言ってケンカ腰になるひとを見かけないのは、ちょっとに幅広い意味があるという暗黙の合意があるからなのだろう。これほどの幅の広い意味があるとなると、通常の単語というよりは、スキャットに近いのかもしれない。スキャットというのは、ジャズのボーカリストが、「ドゥビ、ドゥビ、ダバダバ」など意味のない言葉で歌う歌い方だ。意味のない、と言ったが、正確に言えば、まったく意味がないというわけではない。発声のノリや抑揚、一瞬の情感の込めようによって、なにと言うのは難しくても、なにかが表現されているわけである。

少し、というのはちょっとに比べるとずいぶんと意味が限定されているように感じる。今の世の中はなんにつけてもスピードが早い。そして、メディアで取り上げられるにせよ、SNSの中で話題になるにせよ、目立つということが評価のポイントになりがちである。確かに大きな抜本的な改革が必要なものもある。急いで対処しなければいけないものもある。そのことを否定するつもりはない。

敢えて言うが、だからこそ、少しずつ、という変化にも意味があると思うことにも、また意味があるのではないか。以前書いた記憶があるが、日本の法律家を増やそうと法科大学院を大幅拡充したが、やり過ぎだった。今では、その反省からほどほどに増やせばよい、となったようだ。他にも同様の例はあるだろう。言いたいのは、やり過ぎのために、結果的には効果がなかったり、かえっておかしなことになってしまう、ということは世の中にはけっこうあるということだ。見栄えはしないが、程々とか少しずつ、というペースがよい場合も多々あるだろう。

精神症状に目を向ければ、うつの症状が軽くなるのも、割と早くすっとよくなるひともいることはいるが、「まあ、前よりはいくらかよくなってきているかな」という程度しか改善が実感できないひとも多いだろう。

少しずつ、にも価値を見出したいと思うのである。

ところで、私の五十肩の痛みも少しずつ軽くなっているようだ。
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