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仮説を考える

早や2月だ。本当にまごまごしているうちに半年、1年が過ぎ去りそうだ。ラカンの「転移」はもうとっくに読み終わっているはずなのだが、まだ邦訳の上巻も読み終わっていない。他にも読みたい本はたくさんあるが、なかなか進まない。趣味のジャズライブも昨日行きたいと思っていたのだが、断念した。愚痴のような話から始まってしまったが、結局は慌てずできることをぼちぼちやっていくしかない。

精神科でも精神分析でも臨床を考えるときには、仮説を頭の隅におくということが大切になる。まずは、事実を把握する。それは、例えば入院病棟では患者さんの言動がどうなっているかを知ることである。精神分析では、分析主体(分析を受けている人)の発する言葉そのものをまずはそれとして受け取るということである。

その次に、その背後にある環境的なことや、こころのメカニズムといってよいものがどう動いているのかを、考えてみる。もちろん、考えたところで、そのことを直接的に実証することは不可能なことがほとんどである。考えはあくまでも仮説なのである。科学的な実験であれば、仮説を立てて何度も実験をして想定通りの結果が出れば、仮説が正しかったと判断するのだが、こころの領野はそのようにクリアな世界ではない。

今の世の中の風潮としては、エビデンス、すなわちはっきりした証拠や統計など目にみえるものを重視するので、こころの問題を思考の上で考えることは軽んじられる傾向はあるのかもしれない。精神病理学の衰退もそういった世間の風潮の反映という見方をしてもあながち間違いではないだろう。

私は実験というレベルでの実証ができなくても、仮説を立てることには大きな意義があると思う。ただ、その仮説にも優劣はある。仮説が当たる確率を高める努力が必要である。言い換えれば、ちゃらんぽらんの仮説ではなく質の高い仮説を目指すということである。この仮説を考えることは、誰にでもできる。IQがすごく高くないといけないということはないし、一流大学を出ているとか、博士号や修士号を持っているとか、特別な資格を持っているとか、そういう見かけの肩書とは無縁である。

仮説を考えてみることはどの分野でも大切なことだろう。社会や経済、世の中の動きを見るときにも、いろいろな情報を集めた上で、その背後にはどういうものがあるのか、あるいは、こっちのことがあっちのことへ影響を及ぼしているのではないだろうか、そういうふうに自分なりの仮説を立ててみてはどうだろう?仮説を考えるときには、予想というものも考えることになるだろう。予想が当たるか、当たらないか?それは、自分の仮説を考える能力の鍛錬にもなる。
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