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生きているということ

慌ただしい日が続いた。仕事も立て込んだが、パソコンの調子が悪いのも余計な時間を費やす原因だった。パソコンでやることをスマホでやるのは時間がかかる。目も疲れる。おまけに、メールで最近流行っている絵文字のようなものを送ろうとしたら、自分の意図する絵文字とはまったくかけ離れたものが勝手に送信されてしまい、慌ててお詫びの文章も送らねばならない羽目に陥った。余裕のない時に慣れないことをするものではない。

今日は午前中休みを取ってあったので、パソコンがうまく作動するようなんとか対処して、このブログの記事も久しぶりに書いているところである。やはりスケジュールというのはどこかに余裕を作っておくのがよい。それにしても、パソコンがうまく作動しないとこうも不便なものか、と思い知らされた。

さて、今日はこんなことを書いているのだが、それはなぜだろう、と考えてみる。こういう状況だったという自分のためのメモという意味合いもあるだろう。しばらく記事の更新ができなかったことの言い訳のような意味合いもあるだろう。そして、読者の中には、この空白の時間がなんなのだろうと訝るひともいたのでは、という私の推測からの連想ということもあるのだろう。実際、何も情報がなければ、私はどこか海外に出かけているのかもしれないし、事故か病気で入院しているのかもしれないし、その先は直接的には書きたくないが、もはやブログを書くことができない状況となっているのかもしれない。謂わばそこには感情の揺れ動きが生じている。そのようなときには、こころが安定するように自分ができることはなんとかしたいと思う、一種の職業意識のようなものが働くのかもしれない。

ブログは読むひとを特定しているわけではないが、それでもこのようにひとのことが気になることがある。まして、直接交流しているひとの思惑や考えなどが気になることは日常生活では常に起こっているだろう。ひとのことを考えることは必要なことではある。しかし、そのことに自分が振り回されてしまって、自分を見失うのでは本末転倒である。

あなたはなにを望んでいるのか?どうなりたいのか?なにになりたいのか?

そのことを問うのが精神分析家としての役割だと、私は思っている。

望み。それは、腹が減って食べたいとか、酒を飲みたいとか、多くの金を稼ぎたいとか、有名になりたいとか、そういったレベルのことを言っているのはない。ひととして生きている、ということである。ひとと動物の違い、そこに大きな問題がある。
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