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他のエクリ

今日は年度末晦日である。こんな言葉はないが、年末と新年は世間で特別な時期として認知されているが、年度変わりというのは事務的に終わってしまう。去りゆく年度末を惜しむ人や新年度おめでとう、と言う人はみかけない。何か割り切れないものを感じるのである。とは言うものの、私の仕事は年度が変わっても大きく変わることはない。精神分析家と精神科医の仕事の比重は同じだし、それプラス保健所の嘱託医の仕事や学術団体の役員、あるいは研究会の世話人を引き続きやっていく予定である。

3月19日に東京精神分析サークル主催のコロックが行われたので参加した。毎年3月くらいに行われているのだと思うが、昨年から会場が早稲田大学となった。今年のテーマは、『他のエクリ』を読む/ ジュイッサンスのゆくえ、というものであった。

他のエクリ、というのはジャック・アラン・ミレールによって編集され2001年に出版されたラカンの著書(論文集)である。同サークルの代表である向井雅明氏が中心になり翻訳作業が進められているとのことである。なにせ難解で知られるラカンの著作なので、翻訳の修正チェック作業を向井氏以外の人々にも依頼され、邦訳出版への作業が進行中とのことだ。日本ラカン協会の理事長である原和之氏が、その翻訳チェック者になっているということもあり、今回のコロックでは原氏が指定討論者として登壇した。

発表や討論はなかなか興味深く、知識として仕入れることができたこともあれば、いろいろと私なりに連想が湧いてよい刺激になった。午後の発表はラカンの業界では知られている人々で、そういう意味では聞きなれたスタイルであった。午前は若手の2人が発表していた。1日通しで聞いた印象としては、午後の話が、ラカンはどう言っているのかという、いわば従来の言説であったのに対し、午前の発表は、ラカンが述べていることを下敷きにしながら自分の頭で考え論じようとしている、そして精神分析の本質を追求するということはどういうことなのか、という裏テーマがうっすらと垣間見られる話だったように思われる。

ラカンが日本に導入された頃は皆目見当がつかない何を言っているのだろう、それを解読していくというところから日本におけるラカン精神分析が始まった。そういう作業は積み重ねられ、今ではかなりのオリジナル文献の邦訳や解説書が刊行されて、資料が豊富になってきている。今の若手はそういう資料を参考にしながら、単にラカンがどう言っていたかということより自分なりに、精神分析を考えていこうという世代に移行してきているのかもしれない。そんなことが連想された。今、私は二つの流れについて述べてみたわけだが、どちらかに偏ることなく両面の作業が続けられることが、精神分析が生き残ることにもつながるのではないかと思う。

午後の中野正美氏の発表で、ラカンが日本の精神分析の父である小澤平作に手紙を送ったということに触れていた。その話は私もチラッと聞いたことがあるのだが、手紙の具体的な中身については公になっていない。

ラカンは来日しているし、日本語を多少習っていたという話もある。漢字や禅についての言及もある。ラカンをフランス思想の一部とみなして有り難がって輸入するのではなく、ラカンの考えたことが東洋や日本の事物に通じていることを考えることは重要なのではないか?そういう私の連想の一部を討論の際に述べてみた。それにしても、フランス語をスラスラと読めない私としては、『他のエクリ』の邦訳出版が待ち遠しい。


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