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サントーム、その他、自分なりに考えみるということ

フランスから精神分析家が来日して、研究会が開催された。私以外はフランス語が達者な人ばかりの参加のため、発表および討論はフランス語で行われた。要点は通訳してもらったが、やはりこういう時はフランス語能力をつけたいものだと思うのだが、結局は勉強しないまま次の機会がやって来てしまう。毎回のように自分の怠惰にあきれてしまう。

発表はサントームについてであった。私の理解は部分的なものだったが、通訳を介して質問してみた。そのうちの一つは精神分析の経過の中でサントームが変化するというところまでは同意するが、ではその変化は連続的なものなのか、非連続すなわち飛び越えて変わるものなのか、ということである。普通に考えれば3界の3つの輪を4つ目のサントームが結びつけるという例の図を考えれば、連続的であることの可能性を想定すること自体、妙な質問かもしれない。ラカンの著書を読みラカンの言っていることをどう解釈するかという視点からはこの疑問は出てこないだろう。だが、臨床を考えるとセッションの積み重ねというのは重要である。ケースの検討において、ある言葉の使用や問いかけによって、がらりと主体の在りようが変わったという発表はあり得るが、それは契機としてはわかりやすいが、その変化が起こるまでにセッションの積み重ねがあり、その準備があってこそ、ある時に目立った変化が起こるのだと私は思う。だとすれば、サントームの連続的な変化がなくてある時、突如変わってしまうというのは、違和感がある。そういう意味では見かけ上の変化はなくても、波動で考えればよいのか粒子で考えればいいのかわからないが、とにかくある種の微小な動揺のようなものが変わっていって、ある時、大きな見かけ上の変化が起こると考えることはできないのか、ということなのである。踏み込んだ討論はできなかったが、単にサントームが非連続に変わるというのは、臨床感覚からは粗雑な考えのように感じるのである。

恐らく上記のような疑問についてラカン派内でも議論されたことはないのではないのだろうか?少なくとも私はセミナー等で聞いたり、本や論文で読んだことはない。ばかばかしい疑問だと思う人もいるだろうが、臨床の側面から思考している私としては、けっこう大きな問題なのである。

変化とは、どのようにして起こるのであろうか?
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