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スイスより分析家来訪

それにしても時間が経つのは早い。もう間もなく4月、新年度だ、といろいろな人と話すことの多いこの頃である。

ブログの記事にするのが遅くなってしまったが、2月にはスイスから精神分析家(以下A氏と呼ぶ)が来日されて、私は計3回お会いした。研究会やセミナーの後には少人数で夕食会が催された。本筋の話も食事をしながらの歓談も大変有意義だった。A氏は以前、哲学を学んだこともあるということだが、根っからの臨床家であることがわかった。彼が言うには日本での精神分析関連者との交流で印象深かったのは、フロイト、クライン、ラカンなどを口にしてその理論を当てはめて臨床を語る人が多いということだったそうだ。確かに彼のコメントは先達の高名な分析家がこう言っているという言い方をすることはほぼないと言ってよい。理屈ではなく直観的であるが、なるほどと思わせるコメントやこちらにいろいろな連想をもたらしてくれる発言を次から次へとされるのである。タイプとしては神田橋條治先生に似ていると言ってよいだろう。私は神田橋先生の名前は出さなかったが、外国にも似たような人がいるのだと思うと嬉しくなった。ただ、以前、哲学を学んだ影響もあるのだろうか、直観的でありながらも論理性と言おうかどこか筋が通っているものを感じさせるのである。語学も英語、フランス語、ドイツ語を操り、日本語も細かいところまでは難しいようだが、日常的な言葉は十分解する。我々の中にドイツ語に堪能な人がいなかったため、ドイツ語はほとんど出なかったが、フランス語、英語、日本語が飛び交っての討論や会話となった。やはり一流の分析家との交流から受ける刺激は相当なものがあるなと満足した日々だった。

もう一つ私にとって嬉しかったのは、精神分析にとても関心がありこれから学んでいこうという意欲がありそうな大学院生の参加があったことだ。精神分析はかつてけっこう栄えた時代もあったが、今では残念ながら落ち目となった分野であることは否めない。A氏もそのことを嘆いておられて、ある研究会に出かけたら出席者は皆60代以上の人たちだったとのことだ。今後の精神分析はどうなるのだろうという問題を会場の人々になげかけていた。そのことについてどう思うかと夕食を取りながらの歓談時に私に聞かれた。私は、精神分析は残念ながらメジャーな領域とはならないだろうが、存在しなくてならないものであることは確かである。そして、精神分析の必要性あるいは重要性がわかる人はたとえ少数であっても必ずいるはずだ、と答えた。答えたというと偉そうだが、それを日本語で言って、フランス語の達人に通訳してもらった。A氏、そしてセミナーや研究会をオーガナイズされた方々、参加者の皆さんに感謝したい。


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