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「「エクリ」を読む」を読む

ラカン派の論客であるブルース・フィンクの著書の邦訳書「「エクリ」を読む」(人文書院刊)が最近出版されたので購入した。ラカンを学ぶならエクリを読まないわけにはいかないが、何の前提知識もなく自力で邦訳だけを読んでも、ほとんど何もわからないだろう。翻訳の問題もあるが、エクリをどう読むか、それが大きな問題だ。

本書を道しるべにしながら、エクリを読むというのは、エクリの読解をする際の大きな助けになるに違いない。本書の後書きとして、訳者の一人の上尾真道氏による訳者解説が載っている。けっこう長い読み物になっていて、エクリならずラカンを学ぶことについて核心に触れることが書かれている。フィンクによる本文を読む前に一読しておくことを勧めたい。

日本においてラカン精神分析をどう学び、あるいはどう実践するのか、この問いは根源的なものである。フランス思想の輸入というようなレベルでやることには何の価値もない。では、どのように捉え、考え、実践していったらよいのだろうか?上尾氏の述べることにはそのヒントになりそうなことが示唆されている。検討する必要のあることとして、上尾氏はラカンの日本訪問とそれに関連しての発言を踏まえて、次のように述べる。

日本文化の特殊性なるものに固執するのでも、西洋近代的な普遍主義への追従でもない仕方で、ラカンの精神分析への応答を探る必要である。それにはやはり、ラカンが考え、伝えようとした「精神分析」というものを、もう一度真正面から受け止めねばならないのではないのだろうか。それが彼が生きた歴史のなかで、いったい何であろうとしていたのかを。そしてまた、異国のうちで、どのようなものとしてありうることが思い描かれるのかを。ラカンが日本の読者に宛てた最後の言葉にはそうした思索を呼びかけるような響きが、いくらかでも込められてはいなかっただろうか。(276頁)




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