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「アンチ・オイディプス草稿」

ある学術団体で、ドゥルーズとガタリの共著「アンチ・オイディプス」を取り上げようかという話がある。まだはっきりしたことが決まったわけではないのだが、正式に決まってからでは時間が短くて読む気にもならぬだろうと、少しばかりの予習をと思って、本屋に行った。

ガタリの「アンチ・オイディプス草稿」(みすず書房)という本を購入した。これは、ガタリがドゥルーズに書き送ったテキストの一部だということだ。元々の書物「アンチ・オイディプス」をやめて、とりあえず草稿の方にしたのは、私が2人の思想を追求しようというよりは、自分の思索のヒントにしようと思っているためであろう。

ドゥルーズとガタリはもちろん名前は知っているが、今まで何も読んだことがなかった。この機会に多少なりとも触れておくことは意義があることだろう。こういう縁が生まれるというのも、研究会や学会などに参加するというところから導かれるのである。書斎に籠っての独学では、どうしても幅が狭くなる。

さて、この「アンチ・オイディプス草稿」であるが、そのときそのときの思いつきを書き綴ったもののようだ。だから、読むのも、順番にガタリの思索を追うというのではなく、読み手の思いつきでぺらぺらとめくり読みしてよいのではないか、と勝手に思っている。よく目につくのは、「機械」という言葉である。ガタリはどういう意図でこの言葉を使っているのだろうか?私にとっては違和感のある言葉である。ガタリにとっては自然なのか、あるいは敢えて挑発的にこの言葉を採用したのか?分裂分析というのもキー概念の一つらしいが、どういうことなのか?

「精神分析とは何か?」という章から次に引用しておこう。

ラカンという人物がおもしろいのは、普通よりもずっと頭がおかしいところで、物事を「正常化」しようという努力にもかかわらず、彼は横滑りし、記号の脱領土化へとさらにスリップしていくのだ。(132頁)




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