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精神分析体験

精神分析体験というのは psychoanalytical experience の和訳として私が好んで使っているのだが、精神分析経験としないで「体験」という言葉を使っているのは、頭での知的なものではなく体で体験するものだという感覚が私にはあるからである。

精神分析体験は私にとって精神分析臨床の土台である。これなくして実践も理論も私の中では意味を成さないと言ってよい。そのような思いから連想し思考し文章化した私の論文が日本ラカン協会の機関誌の最新号に掲載され、数日前に手元に届いた。

「I.R.S. ージャック・ラカン研究」第13号「特集:転移」で、タイトル「転移、逆転移から精神分析体験へーリトルとラカンより」という論文が掲載されている。リトルというのは英国の精神分析家、マーガレット・リトルのことである。ラカンは彼のセミネールの中でリトルに言及している。私にはラカンはリトルをけっこうかっているように思える。また、神田橋條治氏がリトルの著書を邦訳しており、私自身、神田橋氏の勤める病院で研修し教えを受けたことがあることから神田橋氏の論考も絡め、また理論と実践、精神分析体験の相互の関連について書いてみた。

だいたい私はいわゆる業績というものに関心がない市井の一臨床家である。だがせっかく滅多に書かない論文を書くからには、精神分析を学ぶ初心の方からそこそこのベテランの方まで幅広く読めるようにと思って書いてみた。

論文の冒頭の一段落だけを以下に引用しておく。

ラカン派の精神分析の臨床では、逆転移という概念をあまり使わない。そのことが慣例なのだと受け入れることに意味はない。なぜ使わないのかという問いを立てる。そこから転移と逆転移を、そして当然のことながら精神分析のプロセスがどう進んでいくのか、さらには精神分析の終結とは何なのか、といったことを根本的に考えることにつながるだろう。
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