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ものごとを考える

精神分析を受けていると両親や兄弟(同胞)のことが話題となることはよくあることだろう。理論から言ってもエディプス複合や同胞葛藤ということから考えれば、そういった話題はもちろん大事であることは間違いない。

しかし、自由連想というのは思いついたことをそのまま話すという作業なのだから、本来的にはいろいろなことが話されるのが自然だろう。たとえば、どこそこのカフェのコーヒーがおいしいとか、最近読んだ本や見た映画の感想といった話が出てくるということはある。一見すると、こういう話題は雑談であって、無駄な話であるとか、本来真剣に考えるべきことから逃げているとかいう見方がされることもあるだろう。果たしてそうなのか?

もちろん、こんなことをしました、で終わってしまえば、単なる日常生活の報告にすぎなくなる。ある出来事から、さらにどういう連想が生まれるのか、というところが分析的になるかどうかの境目になる。それがうまくいけば、単に親は自分より兄弟の方をかわいがっていたというような話を繰り返すより、はるかに得るものが大きくなるだろう。

ものごと一般に目を向けてみよう。何か問題がある。なんでもよい。そのこと自体をなんとかしようとして、いわば直接的に変ようとする。もちろんその方法はわかりやすい。ものごとを広く深く考えるわけではないから、すぐに安直に思い浮かぶ。たとえば、女性の活躍を増やすにはどうしたらいいのか?そうだ、数値目標を設定していわば半強制的に女性の管理職を増やせばいいではないか。確かにそのことを単純にやみくもにやれば、外見上、女性の管理職は増えるだろう。だが、それは問題となるものごとの根本的な解決になっているだろうか?

こんなことを書くと、あなたはそうやってなんだかんだうまいこと言って、女性の地位を上げないように画策しているのですね、などと思うひともいないとは限らない。ふっとそんなことを連想しながら、敢えてこの例を出してみた。

枯葉はたくさんの枯葉が舞って、枯葉と見える。だが、そのたくさんも一つ一つの枯葉があっての秋の風景なのである。
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